毒親連鎖を断ち切りたい

子供の頃から長い間押さえこみ続けた負の感情の蓄積は人生に大きなブレーキをかけてしまいます。ここで真剣に毒親問題に取り組み、負の連鎖を完全に断ち切りたい。このブログで「脱毒親への道」を記録してゆきます。

Episode42〜令和の令とカマボコの話

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ハルです。

 

4月1日の11時ごろ、外出していた妻が慌てたように帰ってきて、僕の仕事場に入るなり、「ハルくん、一緒に見ようよ」とスマホのTV中継画面を見せました。

 

妻は僕と正反対で、こういう大きな社会的イベントを素直に楽しむミーハーな性格。内向的な僕はちょくちょくそれに巻き込まれて、時々ウンザリしつつも、救われている面もあるので、一緒に、その小さな画面を見ることにしました。

 

画面の中の、豆電球のようにつややかな額の見慣れた年配男性が掲げた額には「令和」と書かれていて、僕は思わず「いい字だね」と言って、妻も頷きながら、改元にまつわるワイドショーネタのお喋りをはじめて、そこは僕は本当にまったく興味がないので適当に相槌を打っていました。

 

それにしても、年の途中の思わぬ時期に元旦がやってきたような、新鮮なリセット感はありますね。僕の印象はこんな程度だけれど、ネットから流れてくる声には「令和の令は、命令の“令”ではないか⁈」というものもありました。

 

そんな風に感じる人も居るのか、と思いましたが、でも、そう感じる人の心理の底には何があるんだろう?と少し思いを巡らしました。

 

⭐️

 

僕が井上さんのグループセッションを受けようとしたきっかけのひとつは、女房の「最近のハルくんは怖い」という切羽詰まった訴えがあったからでもあります。

 

去年の暮れから特に酷くなりましたが、この二、三年、僕はほんの些細なことで、イライラが止まらなくなっていました。

 

自分では気づいていなかったのですが…

 

例えば、僕が夕食の野菜炒めを作っている最中に、妻に「その中に冷蔵庫にある余ったカマボコ入れていい?」とでも言われようものなら、「命令するな!」と怒鳴り返していたのです。

 

いまこうして思い出してみると「俺どうかしていたぜ」と思いますが、怒っている最中は「『これとこれで野菜炒め作って』と言われたから、こうして作って、もう完成しかかっているのに、今さら『カマボコ入れて』って何だ! 最初に言え!」と、僕なりの当然の理由があって、怒っていたわけです。

 

でも、それを普通の言い方で言えばいいだけなんですよ。「もう出来ちゃったよ、面倒くさいし、別に食べればいいじゃん」みたいに。そう言えば妻も「そっか、そうだね」で済むし、妻も別に命令するつもりで言ったわけでなく「こうすればどうかな?」的に何げなく意見を言っただけ。それをいきなり「命令するな!」と怒鳴り返せば、妻にすれば何で怒られたのか訳が分からないし、当然傷つきます。

 

そんな、普通の会話が出来ないくらいに、僕の心の中は余裕を失っていたのです。

 

⭐️⭐️

 

「令和の令は、命令の令だ」と怒っている人の心理の底に何があるのか、よく分かりません。その人の中では、たぶん、必然的な理由があるのだろうと思います。

 

でも、外からは、何故怒っているのか、訳がわからないし、ごく普通の感覚の人には「そんなに怒ることかなぁ」としか思えません。

 

「怒り」という感情は、たとえ外からは理不尽に見えても、その人の中では必然的な理由があります。僕はそれを、ここ数ヶ月で身をもって思い知りました。だから怒りや不愉快な感情を表明することは悪いことだとは思いません。

 

ただ「令和の令」に怒っている人は、外からは、「カマボコ」に怒っている僕と同じくらいに、意味不明に見えるのです。

 

「怒り」の感情は否定しないけれど、「怒り」は表明の仕方を間違えると、周りの人を戸惑わせるばかりで、場合によっては、傷つけてしまうことだってあるのです。

 

ところが当人は「俺がこんなに怒っているのに、何故お前は俺の怒りが分からないんだ!」といって、更に激しく怒る。

 

周りは、その人が怒れば怒るほど戸惑いが大きくなり、訳が分からず、近くに居る人はどんどん傷つく、という負のループに入ってしまいます。

 

⭐️⭐️⭐️

 

ボンベの中に圧搾空気が詰め込まれているみたいに、僕の心の中には「怒り」がギュウギュウに詰めこまれていて、ほんのちょっとした意見にさえ「命令するな!」と怒鳴り返す。

 

いつの間にか、とても危険な状態になっていたのだけれど、ここで気がついたのは幸運でもあります。

 

これから半年かけて、ボンベのバルブを少しずつ開いて、空気を抜いてゆくわけです。…

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では、また。

 

いつもお読みくださり、ありがとうございます😊

 

 

Episode~END~

 

To be continued

 

 

Episode41〜わが友アジャセ、お前に会い、お前の声が聞きたい。

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ハルです。

 

前回【Episode40】で

https://halnoyamanashi.hatenadiary.jp/entry/2019/03/30/180216

仏典の「アジャセ王子の物語」について書いた後、妙にこの人物が気になり始めて、「わが友」とでも言いたいくらいに親しみを感じるようになりました。奇妙な気持ちです。本当に。

 

⭐️

 

アジャセの正式の名はアジャータシャトル。実在した古代インドのマガダ国の国王です。父ビンビサーラを殺害して王位に就いたのも史実で、アジャセ自身も子に殺害されたと伝えられています。

 

その時代は初期仏教が興った時代でもあり、ビンビサーラ、アジャセ親子は共に、釈迦と深く関わり、仏教に帰依して、初期仏教教団を支える有力なパトロンでした。

 

子が父を殺す、という出来事は戦国の太古には珍しいことではありませんでした。

 

アジャセには6人の重臣がいて、父殺害後、罪の意識に苦悩するアジャセに「あなたが悪いんじゃないですよ。いつまでも悩んだりしないで、早く忘れて、国を治めてください」と助言したとのことです。

 

その助言を聞いても、アジャセの苦悩はますます深まり、病も重くなるばかりでした。

 

アジャセの快復が始まるきっかけは、医師のジーワカ(耆婆)出会ってからです。

 

ジーワカは他の重臣のように「あなたは悪くない」「忘れなさい」などと慰めたり、助言したりせず、アジャセの告白を、ただただ、最後まで聞くだけでした。

 

アジャセはジーワカに率直に心の内を吐露します。

 

父を殺したいほど憎んでいたこと、憎しみのあまり殺してしまったこと、殺した後、父の愛情に気づき、深い悔恨が生まれたこと、…

 

ジーワカは話を聞き終わると「よく正直にお話してくださいました。罪を犯しても『自分は悪くない』と言い張る人間、あなたに『悪いのはあなたじゃない』とそそのかす臣下は畜生にも劣ります。あなたは自分の罪をお認めになっている。自分の罪を自ら認める人間は必ず救われるでしょう」そう言って、アジャセに、釈迦の下へ行き、教えを乞うことを勧めます。

 

⭐️⭐️

 

アジャセ王子の物語は「観無量寿経」という経典に記されています。僕は岩波文庫で「観無量寿経」を読んだことがありますが、物語は最初の方に概略が書かれているだけです。観無量寿経の後半には、この苦しみから救われる為の「」が延々と書かれています。はっきり言って、この「行」の部分は読んで面白いものではありません。

 

お経は「読書」するために書かれたものでなく、それを声に出して詠(よ)む、詠(うた)うことによって苦しみを手放すために書かれたものです。

 

観無量寿経を重視した日本の僧侶は親鸞聖人です。今でも浄土真宗のお寺では観無量寿経は根本経典とされています。

 

親鸞聖人が著した「教行信証」にはアジャセの物語が詳しく取り上げられているそうです。僕は教行信証は読んだことはありません。でも親鸞聖人がアジャセに強く惹きつけられた訳は、分かるような気がします。

 

親鸞の時代は、貴族社会が終わり武家社会が始まる動乱期でした。社会の秩序が大いに乱れ、子が親を殺す、親が子を殺す悲劇は、権力者階級から下々に至るまで、珍しい出来事ではなかった時代です。

 

そんな時代には、肉親どうしの殺し合いがあっても、当事者は、

「こんな世の中だ、仕方がない」

「こうなったのは、俺が悪いんじゃない」 

そういう理屈で、無理矢理に、自分や、周囲を納得させる者が大勢いたことでしょう。

 

でもそんな理屈じゃ、人間の心は納得しないように出来ているし、永遠に救われず、一生苦しみ続けるように出来ているのです。

 

当事者が「こうなったのは仕方がない」「私が悪いんじゃない」と開き直れば、苦しみは続き、負の連鎖も続きます。そんな風にして世の中がどんどん悪くなってゆくさまを、親鸞は目の当たりにしていました。

 

 人を裁くべき権力者階級の宮廷内部は、当時倫理観など無いに等しく、グチャグチャのドロドロ。新しく始まった武家社会では、貴族社会より更に、肉親を殺すことを躊躇しない風潮がありました。

 

親鸞聖人の浄土真宗は、そんな時代に生まれたのです。

 

僕は浄土真宗の信徒じゃないし、親鸞聖人の行状を詳しく知っているわけじゃありません。だから、ただの想像なんだけれど、…


親鸞聖人は、肉親を殺す大罪を犯した者に出会ったとき、説教めいたことは何も言わず、ただ黙って、その人の告白に耳を傾けていただけ、なんじゃないかと思うんですよ。


罪人の告白を黙って聞いているうちに、その罪人の心の深い部分から、罪を悔いる気持ちが自然に浮き上がってくる。その気持ちが浮き上がってきたときに、


「善人なおもって往生をとぐ、いわんや悪人をや」


という言葉をかけたのではないかと。

 

そうでなければ、この言葉の深い意味が、理解できません。

 

そして、親鸞聖人自身に「俺こそが罪人である」という自覚がなければ、罪人の告白をただひたすら聞く、という行為は出来ないんじゃないかと思うのです。


⭐️⭐️⭐️⭐️

 

アジャセという大罪人の生涯は、二千年後の日本の僧侶に大きな影響を与え、大きな教えを生み出し、今の時代に同じ苦しみを持つ人たちにとって、救いの道しるべにもなっている。

 

不思議なことだなぁ、と思いますね。

罪人にだってちゃんと存在する意味があるんです。

 

では、また。

 

いつもお読みくださり、ありがとうございます。

 

 

Episode41~END~

 

To be continued

 

 

 

Episode40〜「アジャセ王子」と「カラマーゾフの兄弟」親殺しの物語

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ハルです。

 

前回Episode39を書いてから、6日開いてしまいました。

【Episode39〜豊田市三つ子虐待死事件は「善悪の彼岸」にある出来事ではないか?】

https://halnoyamanashi.hatenadiary.jp/entry/2019/03/25/220428

 

とても重い内容だったことと、お友達のコメント欄に書き込みをしたり、コメント欄の他の方の書き込みを読んで、更に深く考えてしまい、新しい記事を書く気になりませんでした。

 

このブログは重たい記事が多いので、毎日記事をアップするのは精神的にとても無理です。一週間に一記事くらいがちょうどいいのかなと思ってます。

 

どうか気長にお付き合いください。

 

⭐️

 

「親殺し」「子殺し」は法律上の犯罪であるだけでなく、仏教、キリスト教イスラム教、あらゆる宗教で大罪とされています。

 

その罪を犯してしまった者は、たとえ裁きを下されなくても、みずから、自責の念で苦しみ抜くことになります。

 

現代は法の下であらゆる人間が平等ですが、その昔は、特権階級の人間は殺人の罪を犯しても裁かれることなく免責されていました。(現代でも北朝鮮のような独裁国家では、最高権力者が殺人を犯しても裁かれることはありません)

 

しかし、たとえ特権によって法による裁きが下されなくても、罪を犯した者の心には「苦しみ」という罰が下されます。人間の心は、そういう風に出来ています。

 

⭐️⭐️

 

👇これは仏典にある有名なお話です。

【親殺しアジャセ王子の物語】

http://onboumaru.com/085-ajasetoshaka/

 

父ビンビシャーラ(頻婆娑羅)王を殺した子のアジャセ(阿闍世)は、特権階級の人間ですから殺人の罪では裁かれることはありません。しかしその罪に苦しみ抜いて、苦悩が身体にも及んで恐ろしい病に冒されます。

 

アジャセの苦悩からくる病は、母イダイケ(韋提希)夫人の慈愛と、仏陀の慈悲によって取り除かれた、と伝えられています。

(下の画像は手塚治虫の漫画『ブッダ』の一場面。ブッダの指から溢れでる慈悲のエネルギーでアジャセが癒されるシーンです。)

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⭐️⭐️⭐️

 

世界文学最高傑作とされる、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』も、「親殺し」の物語です。

 

カラマーゾフ四兄弟の父ピョートルのモデルは、ドストエフスキーの実父ミハエルだと言われています。ミハエルは典型的な毒親でした。ドストエフスキーは若い頃から父へ強い憎悪を抱いていましたが、ミハエルがある殺人事件によって殺されてしまい、そこで初めて「自分の心の奥底にあった父への殺意」にみずから気がつき、あたかも自分の手で父を殺してしまったかのように思い、苦悩します。

その心理的体験が『カラマーゾフの兄弟』という作品に結実しています。

 

⭐️⭐️⭐️⭐️

 

アジャセにしてみれば父ビンビシャーラを憎む理由があったし、ドストエフスキーにしてみれば父ミハエルを憎む理由がありました。そして、世の中には、親を殺したいほど憎んでいる子は多いでしょう。

 

毒親問題とは今に始まった現代的な問題ではなく、宗教の聖典にも書かれている、きわめて根深い問題です。

 

有り体に言って、僕は去年の暮れの妹からのメール以来、とても苦しい心の状態が続いています。

 

これは自分ひとりの苦しさではなく、太古の昔から、アジャセが生きていた時代から続く、運命的な重荷であるような気がします。

 

しんどいけれど、生きていかねばなりませんね。

 

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では、また。

 

いつもお読みくださり、ありがとうございます。

 

Episode40~END~

 

To be continued

 

 

 

Episode39〜豊田市三つ子虐待死事件は「善悪の彼岸」にある出来事ではないか?

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ハルです。

 

豊田市の30歳女性が、生後11ヶ月の三つ子の次男を床に叩きつけて死なせてしまった事件で、3年6ヶ月の実刑判決を下された」というニュースについて、はてなブログのお友達がまったく正反対の意見を書かれていて👇、僕はこの事件に意見を述べるつもりはなかったのですが、ブロ友お二人の意見を読んでいるうちに、ふと、思いつくことがあったので、書いてみることにします。

猫pさんのブログ〜豊田市の三つ子次男虐待死事件について思うこと

http://nkobi1121.hatenablog.com

桃さんのブログ〜豊田市三つ子虐待死事件について

https://www.minimum-kosodate.com/entry/2019/03/24/190051

 

判決前に、残された二人の子と面会した母親が下記のコメントを発表し、このコメント以降、母親への同情の声が高まりました。

https://gifutatainet.com/?p=7320

 

ネットではおおむね、同情の声が多いようです。「実刑ではなく執行猶予を。母親が罪を償いながら、残された二人の子育てを出来るようにして」という署名活動も始まっています。

 

一方で(猫pさんのように)「いかなる理由があったとしても、ひとたび子の命を奪った者が、再び子の命を預かることはあってはならない」という意見を持つ人も居ます。

 

⭐️

 

僕は、第三者が、個人の意見で、この母親を「許す」「許さない」と言うことは出来ない、と思っています。

 

…この言い方、少し難しいですかね。。😓

 

賛否両論あるネットの意見を読んでいるうちに、僕は、こんなことを思い浮かべました。

 

その昔は「口減らし」「間引き」という風習がありました。生まれた子をすべて生かしておくと、家族共々生き残ることが出来ない場合、意図的に選別した子を殺生する風習です。

この豊田市の件は、明らかに「母親の育児能力を超える人数の子供が生まれてしまった」のだと思います。「口減らし・間引き」の風習があった時代ならば、出生時点で三人の子のうち何人かを殺し、残りを生かす、という選別をしたかも知れず、親がその選別をしたとしても、社会は黙認したのではないでしょうか。

私たち現代人は、自分が「そういう残酷な時代に選別されて生き残った末裔」という事を忘れています。

現代人の価値観だと「この母親は決して許されない事をした」と判断されますが、異なる時代であれば「致し方ない選択だった」と判断されたかも知れません。

「生きる」という根源的な問題は「現代人の価値観だけでは軽々に判断出来ない」と僕は思っています。

 

⭐️⭐️

 

こう考える僕に同意する人は、たぶん、ほとんど居ないと思います。

 

分別がつく年齢の子に「しつけ」と称して暴力を加え、死なせてしまう親に僕は怒りを覚えますが、生後11ヶ月の赤ん坊を床に叩きつけて死なせてしまった母親に、僕は何故か、怒りは感じないのです。同情もしないけれど。

 

野生動物の社会で生存の為の「子殺し」はいくらでも確認されています。それは「善悪」の彼岸にある出来事です。

 

この件は、それに近い出来事のように、僕には思えます。

 

⭐️⭐️⭐️

 

では、また。

 

今回も最後までお読みくださり、ありがとうございます。

 

Episode39~END~

 

To be continued

 

【追記】

「親殺し」「子殺し」はとても痛ましい出来事だと思いますが、僕は実際に「親を殺したい」と思ったことがありますし、あまりにも辛い育児にチラリとでも「この子を殺したい」と考えてしまう母親はたくさん居ると思います。だからこの母親が(特に育児中の親から)同情を集めているのだと思います。

ただし、実際に殺してしまったら、その罪に相当する罰は受けねばならないし、3年半の実刑は妥当だと、僕は思っています。

「残された赤ん坊が実親から離されるのは可哀想だ」という声もありますが、現代の乳児院や養護施設は、世間一般で思われているよりずっと環境はいいのです。少なくとも、うつ病の実母の元での余裕のない生育環境よりは「子供にとって」良い環境であることは間違いありません。そういう乳児院・養護施設の実態がよく知られていないから、この母親にしても限界状況になっているのに「施設に預けよう」と思い浮かばなかったんだろうし、世間も「親と赤ん坊が離ればなれになるのは可哀想だ、親元へ返せ」と考えてしまうんでしょうね。

母親はしっかり罰を受けて、罪を償って、病気の治療をしてから、子育てをリスタートした方がいい、と思います。

母親と残された子が将来幸せになれるかどうかですが、親鸞さんが「善人なおもって往生をとぐ、いわんや悪人をや」と言っているので、大丈夫です。

 

Episode38〜憎しみや怒りを抱いた相手に復讐は必要か?

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ハルです。

 

昨日の日曜は息子と笛吹川の土手に行って、ヨモギを摘んできて、草餅を作ってみました。

摘みたてのヨモギで作った出来立ての草餅は、今まで食べたどんな草餅より美味しくて、息子は7個も平らげました。

 

⭐️

 

数日前に、実家で同居している妹からFacebook経由でメッセージがありました。このブログが妹の目にとまり、「公の場で両親をこんな風に書くブログはやめて欲しい」という内容のメッセージでした。

(妹とのやりとりは、この出来事も含めて、別の回にまとめて書くつもりです。)

 

妹のメッセージを読んで以来、安定していたメンタルがまた下がってしまい、体調も最悪になりました。土曜の夜は、些細な事で妻と衝突して、妻を大いに傷つけてしまいました。

 

日曜の朝は、目覚めても起き上がれず、床の中で泣いている僕に、息子が「土手に行ってヨモギを摘みたい」と言ったので、無理して起き上がって外出して、ヨモギを摘んできて、息子と一緒に草餅を作り、家族で食べきれないほどたくさん出来たので、隣の一人暮らしのおばちゃんや妻の実家にもお裾分けして、夕方、朝から仕事だった妻が帰宅して、一緒に食べて、妻とのわだかまりも解けて、まあとりあえず、今回の嵐は幸運なことに一件落着したようです。

 

⭐️⭐️

 

僕のメンタルの浮き沈みの激しさは、妻と息子にも、大きなストレスになっています。

 

長年抑えていた「怒り」が、自分でもコントロール出来ないほど溢れ出す事があり、それは自分でも苦慮していますが、同居する妻や息子にしたら、たまったもんじゃないでしょう。

 

僕の本心を正直に言えば、両親に「復讐してやりたい」という気持ちが抑えられないくらいに大きくなっています。何度も自分の気持ちを訴えて、それでも、まったく受け入れない両親に、「それならあんたらから貰った暴力をそのまま返してやる!」と、同じ暴力で、復讐してやりたい

 

…こんな気持ちが沸き起こること自体、しばらく前までの僕は、自分で抑えこんでいました。親にそんな気持ちを持つ事に「罪悪感」というブレーキがかかっていたのです。

 

今の僕は「湧いてくる気持ちに蓋をしなくていい」と思っています。実際に行動を起こすかどうかは別として。

 

⭐️⭐️⭐️

 

子供を観察していると「復讐心」は、ごく自然に人間に備わっている本能だということが分かります。

子供は誰かに痛い目にあうと必ず「やりかえし(復讐)」をします。

今の大人は、子供の「報復合戦(ケンカ)」にただちに介入して「それはいけないことだ」と教え込みますが、大人にケンカを強制終了させられた子供の心の中では「本能として備わっている復讐心」がくすぶったまま、消えていないかもしれません。

 

「復讐心=悪」なのでしょうか? 

 

では何故人間の本能に復讐心が備わっているのだろう?

 

⭐️⭐️⭐️⭐️

 

シャリーアイスラム基本法)にはキサースという刑罰の定めがあります。

裁判官の監視の元、被害者が蒙った被害と同じものを加害者に与える、という刑罰です。これは元をただせば「目には目を」というハンムラビ法典から続く古典的な刑罰法です。

 

「目には目を、歯には歯を」という定めは、現代人には一見野蛮に見えるのですが、これは正確に言うと、「被害者が蒙った被害以上の報復をしてはならない」という、報復の上限を定めた合理的な法律なのです。

 

復讐心は人間に備わっている本能です。それを認めた上で、「ここまでの復讐は許可するが、それ以上の復讐をすると、報復の連鎖が起き、双方が破滅する」ことを防ぐために「目には目を」の定めがあるわけです。

 

この刑罰法ひとつとっても「イスラム教徒には心の病が少ない」という理由が分かるのではないでしょうか。

 

誰かから不当な暴力を受けた人間が、復讐心を満たされず、加害者が反省もせずにのうのうと生きているのを見たら、心が病んでしまうのは当然ではないかと思うのです。

 

にもかかわらず、私たちは、復讐は許されない現代社で暮らしています。

 

法律的にも許されていないし、親や社会の教育によって、子供の頃から「復讐=悪」と「復讐心を抱いてもいけない」と教え込まれています。

 

昨今の保育園、幼稚園、小学校でよく見かける光景ですが、子供がケンカ(報復合戦)を始めるとすぐに先生や親が介入して「“ごめんね”って言いなさい」「“いいよ”って言いなさい」と暴力沙汰を(表面的に)おさめようとします。けどその解決方法は、子供の心の中では充分納得されているんでしょうか?「あの子に酷い目にあったのに、なんで…」という気持ちが、くすぶってはいないでしょうか?

 

「復讐を認めろ」と言っているんじゃないんです。復讐心が沸き起こってくる事自体は良い悪いもなく人間の自然な心理です。その心理を抑えこんでいると、人間の心は病んでゆくのです。

 

それは我が身をもって実感しています。

 

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

 

僕はかつて父親に「謝らなければ殺してやる」と書いた手紙を送ったことがあります。それはEpisode15で書きました、

【Episode15】

https://halnoyamanashi.hatenadiary.jp/entry/2019/02/18/044929

 

こんな手紙を親に送りつけた事の賛否はあるでしょうけれど、その手紙を送った直後、僕はどんな気持ちになったかと言うと、「今まで味わったことがないほど晴れやかな気持ち」になったのです。

嘘でも何でもなく、本当にこんな気持ちになり、我ながら我が心に驚きました。

 

父が僕にどんなに理不尽な暴力を振るっても、母は僕に「やりかえす」ことを厳に禁じました。その上、暴力を受けても「何とも思わない大人になれ」と教え込んできたのです。

 

父に「殺してやる」という手紙を送りつけたことは物凄い暴力であるに違いありません。

僕は生まれて初めて、父に物凄い暴力を振るって、息子の暴力に深いダメージを受けている父と母を確認すると、僕の心に思いがけないほどの「晴れやかな気持ち」が沸き起こってきたこと。これはまぎれもない事実です。

 

おそらく、この「晴れやかな気持ち」をもっともっと味わいたいがために、人間は「過剰な報復」をしてしまい、やがて取り返しがつかないほどの報復合戦、…個人レベルでは殺人事件、国家レベルでは戦争、という悲劇が起こるのではないかと思っています。

 

僕はもうこれ以上の報復をするつもりはありません。

 

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

 

さて今回は、この辺で終わりにします。

これ以上書いていると、また心が荒れてきそうな気がしますからね。(苦笑)

 

最後までお読み下さり、ありがとうございます。

 

Episode37~END~

 

To be continued

 

 

 

Episode37〜精神科と心理カウンセリングと宗教は目指すところが同じ。入ってはいけない宗教があるように要注意の心理カウンセラーもある?

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ハルです。

 

一昨日描きあげた絵は『Happiness Pinkie Ring(幸せの小指の指輪)』とすることにしました。

 

言い伝えによると「幸福は右手の小指から入り、左手の小指から出てゆく」とのこと。「右手小指の指輪は幸福を招き、左手小指の指輪は幸福が逃げるのを防ぐ」そうです。

 

僕が描いた絵では、女性の両手の小指の指輪から、星か雪の結晶のようなものが出てきています。この女性は人間ではなく女神なので、両手小指から幸福が溢れ出しているのですね。

 

面映ゆい目標だけど、「ハルの絵を持っていると幸せになれる」という評判がたつような絵描きになりたい。…

 

…それを目標に絵を描いてゆくのは、悪くないモチベーションの持ち方だ。…

 

⭐️

 

さて、

https://halnoyamanashi.hatenadiary.jp/entry/2019/02/24/154946

👆Episode21で 大川隆法氏の長男、宏洋氏について書きました。

その後、精神科YouTuberのSidowさんのチャンネルにアップされた続編動画が、とても面白い切り口だったので紹介します。

 

神の子 宏洋に聞く!精神科と宗教の共通点と入ってはいけない宗教
https://m.youtube.com/watch?v=HiPULzX8Qoo

 

大昔は、天変地異や病気を防ぐのも宗教の役割でしたが、科学が発達するにつれ、相対的に宗教の役割も減っていきました。しかし現代でも「受け入れがたい辛い出来事」はあり、その「辛いときのよりどころ」として宗教が必要とされ、現代では、精神科も宗教と重なる役割を果たしているとのこと。

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精神科に加えて、心理カウンセリングも、同じ役割を果たしている、と言えます。

 

上の動画では「入ってはいけない宗教」について宏洋さんがいくつか例をあげています。

例のひとつとして「お金をとる宗教はヤバい」と言っています。

 

精神科医は医療行為をするので、治療費をとりますが、精神科医になる為には国家試験があります。試験を通らなければ精神科医として開業できません。患者は「免許をとって精神科医になったのだからお金を払うに値するスキルを持っているのだろう」と思っているから疑問もなくお金を払っています。

 

心理カウンセラーになる為の国家試験はありませんが、民間の協会の資格試験を通らなければ、プロのカウンセラーとして開業できません。民間と言えどカウンセリングのノウハウはそれなりに蓄積されているので、その資格試験を通れば、ある一定以上のスキルがあると見なされ、クライアントはそのスキルにお金を払うわけです。

 

宗教の場合ですが、伝統宗教ならば、やはり「資格試験」に相当するものがあります。プロの僧侶になる為には修行道場で修行を積み「僧籍」を得なければ、お布施を頂くプロのお坊さんとして活動できません。

 

心の問題にお金を払うのは、病気を治療してもらって治療費を払うのと同じことだから、必ずしも「お金をとる=悪」というわけじゃないのです。

 

上で宏洋さんが言っているのは伝統宗教以外の、新興宗教についてです。

仏教寺院やキリスト教会以外の新興宗教は数々存在して、信者からお布施と称してお金をとっているけど、その活動を認めているのは誰か? 

 

「宗教法人法」というのがあって「監督官庁」が許認可を与えている(らしいです。詳しいことは僕も分かりません。)

「指導者」が居て「教義(教え)」があって「信者」が居て「信仰活動」が行われて、監督官庁が「これは宗教だな」と見なせば、宗教法人として認められる(らしいです)。

 

監督官庁が警戒しているのは、宗教法人を隠れ蓑にして脱税のような違法行為をしていないか、ということであって、「信者を騙してお金を巻き上げているかいないか」までは判断できません。役所は個人の心の中にまで入り込めないから「騙されているのか」「信じているのか」の違いは外からは分からないのです。

 

僕の女房は産業カウンセラーの資格その他様々な資格を取っているけど、カウンセラーの資格試験といっても様々な民間協会が乱立していていて、中には怪しげなものがあるのも事実です。

 

はっきり言って、悪徳宗教法人があるのと同じで、悪徳カウンセラーも実在していて、クライアントから不当にお金を巻き上げているカウンセラーも居ます。

 

その見分けは、どこでつけたらいいんでしょうか。

 

⭐️⭐️

 

僕は今現在、井上秀人さんというカウンセラーを信頼して、半年にわたるセッションを受け始めていますが、正直に言って、この人が本当にカウンセラーとしてホンモノなのか、ニセモノなのか、今のところは分からない、としか言えません。

 

半年後に、僕が心の底から「親の呪縛から自由になった」と実感できれば、井上さんがホンモノと証明できるでしょうけど、それでも「ハルという個人にとってホンモノ」というだけです。

 

かほどに、「このカウンセラーがホンモノ」ということを証明するのは、難しい。

 

ただ僕は絵描きなので、自分の心の中を絵によって表現するということが出来ます。僕の心の変化は、僕が描いた絵で分かります。絵を見ると、少しずつ変化はしてきていると思う。

 

井上さんのセッションの特徴は「自分の心の内を文章で書く」という点にあります。紙に自分の手で実際に文字を書いてゆくのです。その量もハンパなく多い。これを半年続けるとしたら…

 

…これがどんな変化をもたらすのか、まだセッションを受け始めたばかりの私たち(現在コミュニティの人数は30人ほど)には、誰にも分かりません。

 

明日、コミュニティの仲間と、東京某所で初顔合わせです。

Episode0では「戦いが始まる前」とタイトルをつけましたが、明日から、本格的に「戦い」が始まることになります。

 

⭐️⭐️⭐️

 

では、今日はこの辺りで。

 

最後までお読みくださり、ありがとうございます。

 

Episode37~END~

 

To be continued

 

 

 

Episode36〜幸福を感じる時間を積み重ねたい

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ハルです。

 

昨日、Episode30で途中経過の写真を載せた絵👆が完成しました。

 

「自分と自分の家族を幸福にしたい」ということを第一に考えて、描いています。  

 

⭐️

 

今日は家族三人で日帰り上京。

東京ヤクルトスワローズvs広島カープのオープン戦を観戦しました。

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試合はホームラン7本が出る大激戦、7×7のドロー。9回に4点差を追いつかれて、スワローズファンの女房はちょっとガッカリ。息子と僕は白熱した試合に大満足。

 

息子は小遣いでクリアファイルとボールのグッズを買って、帰りのバスの中でいじくり回して、「楽しい一日」の余韻に浸っています。

 

幸福な時間を積み重ねるために家族がある。

 

⭐️⭐️

 

それでは、また。

 

今日はこれだけですが、読んでいただいてありがとうございます。

 

Episode36~END~

 

To be continued