毒親連鎖を断ち切りたい

子供の頃から長い間押さえこみ続けた負の感情の蓄積は人生に大きなブレーキをかけてしまいます。ここで真剣に毒親問題に取り組み、負の連鎖を完全に断ち切りたい。このブログで「脱毒親への道」を記録してゆきます。

Episode11〜『思い出のマーニー』はアダルトチルドレンの快復の物語

 

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ども、

ハルです。

 

Episode5から10まで、主に自分の過去の出来事を書いてきました。

書きながら、胸のざわつきが止まらなかったり、はっきりと不愉快な気分になったりしましたが、一方で「書くのがやめられない」という不思議な感覚でした。

ブログ開始から10日経ち、記事を11本あげました。

このブログを始める前の1カ月は精神状態は最悪でした。実の父母への怒りの感情が止まらず、その感情はどんどん膨れ上がってしまい、世の中全体に怒りと不満を抱く程になっていました。

今は、落ち着く時間が多くなったと思います。自分の心の奥に畳んでおいたものを広げて、書いて吐き出す。それを誰かに読んでもらう、ということ。それがとても大事なことだと、あらためて実感しています。

 

前回、アニメ映画の『思い出のマーニー』に少し触れました。記事をあげた後、この映画を思い返しながら、様々な事を考えました。今回はそれについて書いてみたいと思います。

 

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主人公の杏奈は幼い頃に孤児になり、里親の元で暮らしています。杏奈は常に自分が「輪の外側」に居て、決して「輪の内側」に入ることが出来ないと感じていました。どんな人にも心を閉ざして、どんな人も好きになれない。そして何より自分が嫌いでした。ある日、里親が養育費を市から支給されていることを知り、「わたしを育てているのはお金の為だ」と思い込み、里親にも心を閉ざします。

杏奈は病気になり、病気療養の為に、里親の親戚が住む北海道でひと夏を過ごします。けれどその地でも杏奈は「輪の外側」に居ると感じ、誰とも打ち解けることが出来ません。

そんなある日「湿っ地屋敷」に暮らすマーニーという少女に出会い、杏奈はマーニーを「まさしく自分と同じ子」だと感じます。やがて杏奈は今まで誰にも話せなかった心の内をマーニーに打ち明けるようになり、二人は永遠の親友になることを誓います。…

 

物語の触りはこんな感じです。この映画は公開されて時が経っていて、たぶん観た方も多いと思うのでネタバレを書いてしまいますが、マーニーは杏奈とは別の時代に生きていた少女です。なぜ時を超えて二人の少女が出会えたのかは、これはファンタジー作品なので、そこを詮索するのはあまり意味がないのですが、とにかく、時という隔たりがあっても、心を閉ざし、同じ孤独感を抱えていた二人の少女は、お互いに相手が絶対必要な存在だったのです。

 

杏奈は、マーニーと出会った不思議な夏が過ぎた後、自分の心を他人に開くことが出来るようになります。(という余韻を残して映画は終わるわけだけど)。それはつまり、輪の内側に入ってゆくことが出来るようになる、ということ。

映画のポスターには「あなたのことが大好き」というキャッチコピーが書かれていますが、まさしく自分と同じ子のマーニーを好きになることは、自分を好きになることと同じことなんです。自分を受け入れることが出来る者は、世界を受け入れることが出来るようになる、というわけです。

 

物語の最初、杏奈は「わたしはわたしが嫌い」と言う自己肯定感の低い少女でした。実は映画の中盤あたりで、杏奈はマーニーに裏切られたと感じる出来事がありますが、それでも杏奈はマーニーに「あなたのことが大好き!」と叫ぶ。どんなことがあっても「あなたが大好き」と意思表示することは、杏奈にとって、どんなことがあってもわたしはわたしのことが大好きだという意思表示でもあったのです。

思い出のマーニー』予告

https://m.youtube.com/watch?v=b9XPIloqk50

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子ども時代に何かが原因になって「わたしはわたしのことが嫌い」と思い込むようになってしまった人(自己肯定感が低い人)は、潜在的にかなり多いのではないかと思います。

僕はまさにそういう人間です。そして、この歳になるまで恥ずかしいことに「輪の内側」に入れないと感じています。でもそれは「世界が自分を拒絶している」のではなく、「自分が世界を拒絶している」んです。

 

自己肯定感が低い人間は、同時に、世界をありのままに肯定する意識も低く、常に世界に不満を持って生きている。そして、世界と自分との間に深い断絶を感じている。

 

思い返すと、僕の母親は、新聞を読んだりテレビのニュースを見るたびに、世の中に対する不平不満を延々と述べ立てる人でした。そして、出会う人出会う人すべてに対して、その人が居ない場所で、不平不満をクドクドと言い続けていました。僕はその不平不満を聞くのが嫌で嫌でたまらなかった。父に対しても、僕の妹や弟に対しても、僕に対しても、家族や世の中に常に不満を持っていた母親は、おそらく自分自身に対して、もっとも不満を持っていたのではないかと思います。世界をありのままに受け止めることが出来ない母親は、深い孤独感を今でも抱えていると思います。

 

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僕は仏教の唯識を少々学んだので、唯識論的に言うと、これは、こういうことなんです。

世界というものは「その人に見えている世界」に過ぎません。「自分が嫌い」「世の中が嫌い」と言っている人は、「その人の意識の中の自分が嫌い」「その人の意識の中の世界が嫌い」というだけの話です。

映画の中で、杏奈に「ふとっちょ豚」と言われた信子が「周りはあなたが思ってる様に見えているだけ」と、なかなか唯識論的な台詞をいいます。

輪の内側に入れないのは、自分が勝手に「輪」を意識の中で作りあげて、勝手に「入れない」と思い込んでいるだけです。輪なんて最初から無いし、入れないのは「入りたくない」と思っているから入れないだけで、「入りたい」と思えばいつでも入れるんです。人生は自分の意識次第で、いくらでも変えらるものなんです。

 

…まあ、理屈では、そういうことなんですが、いまの僕にはそれが出来ません。ガッチリと意識の中で「輪」を作ってしまっていますから。

たぶん、僕はまだ「まさしく自分のような子のマーニー」に出会えていないからだと思うんです。

 

でもそういう存在とは、願って会えるわけではありませんからね。

慌てずに、来るべき時を、待つしかないかなと。…

 

ウィキペディアで『思い出のマーニー』の原作者ジョーン・ゲイル・ロビンソンの生い立ちを読んでみたんですが、ジョーンの母親はとても厳格な人で、ジョーンは「愛に飢えた子供時代を過ごした」とのことです。この物語の作者は典型的なアダルトチルドレンだったのでしょうね。杏奈もマーニーも原作者の子供時代を投影した分身なんだろうな。納得です。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%e6%80%9d%e3%81%84%e5%87%ba%e3%81%ae%e3%83%9e%e3%83%bc%e3%83%8b%e3%83%bc

 

今日は、このあたりで。

 

ここまでお読み頂き、ありがとうございます。

 

                             Episode11~END~

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                             To be continued