Episode35〜伝説の映画監督「伊藤智生」、AV界の巨匠「TOHJIRO」監督を知っていますか?
ハルです。
今回も自作解説から始めます。
👆これは今まで掲載していた作品とは、ガラリと趣向の違う作品です。題名は『誰にも縛られないために私は私を自分で縛る』。A3ぐらいのケント紙にペンで描いた作品です。
一年ほど前に描いた作品ですが、今見ると、これを書いた自分は「病んでるな」と思います。正確に言うと「病みながら、そういう自分を客観視しようとしている」という作品です。
この作品を描いた頃、ある映画監督の方と知り合いました。その方の名は伊藤智生。
ものひとつの作家名はTOHJIROです。
男の方なら「あの人か」と思いあたるかもしれません。僕の駄文で説明するより、下のリンク先を見ていただいた方が早いと思います。
【AVの巨匠TOHJIRO(伊藤智生) 伝説の長編処女作 『ゴンドラ』 30年ぶりの再上映】
https://www.google.co.jp/amp/cinefil.tokyo/_amp/_ct/17024382
この『ゴンドラ』という映画をポレポレ東中野という小さな映画館で観て、とても感動して、長文レビューをFacebookに載せたところ、伊藤監督の目にとまり、監督自身そのレビューをとても喜んでくれて、それからお付き合いが始まりました。
お会いしてみると、とても純粋で歳をまったく感じさせない程若々しく、初々しく、誠実で紳士的な作家でした。
作品の『ゴンドラ』は不思議な静謐さとホリックな空気感に満ちた作品ですが、AV監督TOHJIRO監督として制作するAV作品は、いわゆるハードSMというジャンルの、超マニアックな作品。
僕は伊藤智生監督に出会う前から、TOHJIRO監督のAV作品を知っていました。その趣味があるなしに関わらず、とにかく強烈な内容なので、一度観たら忘れられないAV作品です。
劇場映画作品とAV作品のギャップがあまりに大きいので「同一人物か」と一瞬疑ってしまうんですが、ご本人の中では、深い部分で映画とAVは繋がっています。
それが僕にはよく分かる。
ーーここも説明が難しいところです。
TOHJIRO監督のAV作品のリンクをここに貼るわけにはいかないので、言葉で説明するしかないんですが(言葉で説明するのも少々はばかれるけど)、要するに美しい女優さんを縛ったり、吊るしたり、鞭で叩いたり、◯◯したり、□□させたり、…という、女性の人格を踏みにじってるかと思うくらい、フェミニストが観たら卒倒するような物凄いSM作品を撮っているのです。
ところが、この業界のトップ女優がこぞってTOHJIRO監督の元に「撮って欲しい」と列をなし、リスペクトして、絶大に信頼されている。
TOHJIRO監督がいつか言っていましたが、「俺は医者じゃないのに、どういうわけか、病みを抱えた女優ばかり俺のところにやってくる」との事。
女優を痛めつけるのがウリのSM作品は数々ありますが、TOHJIRO監督のAV作品を観ると、激しい責めを受けた女優さんが、終わりの方では、憑き物が落ちたような独特の表情に変わっています。そのうえ、何とも言えない、素朴で清らかな「美しさ」さえ感じる。その表情は「演技」ではないように見えるのです。
伊藤智生(TOHJIRO)監督のお母様は、監督がまだ子どもの頃心を病んで、その様子を、監督はつぶさに記憶しているそうです。(そのお母様をモデルにした映画を次回作で制作するそうです)。
心のどこかに病みを抱えた若い女性がTOHJIRO監督の元を訪れ、自ら望んで激しい責め苦を受け、絶叫し、何かを吐き出し、生まれ変わったような表情に変わる。
そういう人間の不可思議さを、言葉で説明するのはとても難しい。
言葉での説明は難しいのだけれど、僕は、これは単純な、人間としてごく当たり前な事だと思うんです。
表面だけを見てると分かりません。でも人間の心の側から見ると、すぐに分かることです。
厳しい修行を積むお坊さんは、何故好きこのんで、みずから苦しい目に会おうとするのか。
その修行を経た後は「生まれ変わった」心境にたどり着く。生まれ変わりたいから激しい責め苦を自分に課すんです。苦しみを経ないと人間は成長しない。それが人間の変わらない原理です。
⭐️
ここで思い浮かべるのは、僕の子どもの頃の記憶です。
何度も書きましたが、僕は父に理不尽な暴力を振るわれ、泣いていた僕に、母は「お前の方が大人になって乗り越えろ」と言いました。
父も母もこの出来事を「息子を成長させる為に必要な試練を与えた」と思っています。そうだと、僕にはっきり言いもしました。
ある年齢になるまで、僕は、この親の理屈をそのまま飲み込んで、受け入れていました。
でも今では、これが「親の汚い嘘」だと、はっきり分かります。
「自分が望みもしないのに一方的に押し付けられる苦しみ」と「自分が望んで受け入れる苦しみ」は、まったく違うのです。
「苦しみ」を「快楽」に置き換えてもいい。
「自分が望みもしないのに一方的に押し付けられる快楽」と「自分が望んで受け入れる快楽」は、まったく違う。
子供が望みもしないのに、親側の一方的な理屈で、子供に「苦しみ」や「快楽」を与える親は毒親に他なりません。
「うちは子供に何不自由なく与えている」と、子供の本当の望みを無視して、玩具やお菓子やお金を与えている親は、子供に暴力を振るう親と同じです。知らず知らず子供の心を壊しています。
⭐️⭐️
セックスは快楽に違いないけれど、望まない女性にセックスを強要するのはレイプです。
望むセックスをすると人間の心は満たされますが、望まないセックスを強制されると人間の心は壊れるのです。
望まないものを親の一方的な都合で与え続けられた子供の心は、徐々に壊されてゆきます。
「試練を与えてやらねばならない」と勝手に考えて子供に試練を与える親は、「セックスは快楽なんだからセックスしてやるよ」と女性をレイプする勝手な男と変わらないんです。
レイプされた女性の心が深く傷ついているように、親の一方的な試練を与え続けられた子供の心は深く傷ついています。
⭐️⭐️⭐️
大人になれば、「自分の成長に必要な試練」は、自分から望んで受けるようになるんです。
TOHJIRO監督の元に飛び込んで、激しい責め苦を受ける女優は、それまでに「自分が望まない責め苦」ばかり受けて心が病んでいるんです。
「自ら望んで受ける責め苦」は自分を成長させる。それは誰からも教えられなくても、人間はしかるべき時に、自分に必要な責め苦を自分に課して、勝手に成長してゆくんです。
TOHJIRO監督の激しい撮影の後、女優たちが独特の晴れやかな表情をしているのは、性倒錯でも何でもなく、人間の原理にかなった、人間らしい行動をしたからです。
親が自分勝手な理屈で、子供に試練や責め苦を与えちゃいけないんです。絶対に。
それは女性をレイプするのと同じくらいに罪深い事をしているんです。
それでは、また。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
Episode35~END~
To be continued
【追記】
4月13日(土)~4月19日(金)
名女優佐々木すみ江さんを偲んでの『ゴンドラ』追悼上映会 がポレポレ東中野で開催されます! お時間のある方は是非!
〈劇場WEB〉
連日開映14時40分
ゲストを招いてのアフタートークもあります。
13日(土) 飯田譲治(映画監督)
14日(日) 朝岡実嶺(女優)
15日(月)今関あきよし(映画監督)
16日(火) 山田勝仁(演劇評論家)
17日(水)オーイシマサヨシ(アーティスト)
加藤純一(YouTuber)
18日(木) 品田誠(俳優)
19日(金) 木内みどり(女優)