毒親連鎖を断ち切りたい

子供の頃から長い間押さえこみ続けた負の感情の蓄積は人生に大きなブレーキをかけてしまいます。ここで真剣に毒親問題に取り組み、負の連鎖を完全に断ち切りたい。このブログで「脱毒親への道」を記録してゆきます。

Episode38〜憎しみや怒りを抱いた相手に復讐は必要か?

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ハルです。

 

昨日の日曜は息子と笛吹川の土手に行って、ヨモギを摘んできて、草餅を作ってみました。

摘みたてのヨモギで作った出来立ての草餅は、今まで食べたどんな草餅より美味しくて、息子は7個も平らげました。

 

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数日前に、実家で同居している妹からFacebook経由でメッセージがありました。このブログが妹の目にとまり、「公の場で両親をこんな風に書くブログはやめて欲しい」という内容のメッセージでした。

(妹とのやりとりは、この出来事も含めて、別の回にまとめて書くつもりです。)

 

妹のメッセージを読んで以来、安定していたメンタルがまた下がってしまい、体調も最悪になりました。土曜の夜は、些細な事で妻と衝突して、妻を大いに傷つけてしまいました。

 

日曜の朝は、目覚めても起き上がれず、床の中で泣いている僕に、息子が「土手に行ってヨモギを摘みたい」と言ったので、無理して起き上がって外出して、ヨモギを摘んできて、息子と一緒に草餅を作り、家族で食べきれないほどたくさん出来たので、隣の一人暮らしのおばちゃんや妻の実家にもお裾分けして、夕方、朝から仕事だった妻が帰宅して、一緒に食べて、妻とのわだかまりも解けて、まあとりあえず、今回の嵐は幸運なことに一件落着したようです。

 

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僕のメンタルの浮き沈みの激しさは、妻と息子にも、大きなストレスになっています。

 

長年抑えていた「怒り」が、自分でもコントロール出来ないほど溢れ出す事があり、それは自分でも苦慮していますが、同居する妻や息子にしたら、たまったもんじゃないでしょう。

 

僕の本心を正直に言えば、両親に「復讐してやりたい」という気持ちが抑えられないくらいに大きくなっています。何度も自分の気持ちを訴えて、それでも、まったく受け入れない両親に、「それならあんたらから貰った暴力をそのまま返してやる!」と、同じ暴力で、復讐してやりたい

 

…こんな気持ちが沸き起こること自体、しばらく前までの僕は、自分で抑えこんでいました。親にそんな気持ちを持つ事に「罪悪感」というブレーキがかかっていたのです。

 

今の僕は「湧いてくる気持ちに蓋をしなくていい」と思っています。実際に行動を起こすかどうかは別として。

 

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子供を観察していると「復讐心」は、ごく自然に人間に備わっている本能だということが分かります。

子供は誰かに痛い目にあうと必ず「やりかえし(復讐)」をします。

今の大人は、子供の「報復合戦(ケンカ)」にただちに介入して「それはいけないことだ」と教え込みますが、大人にケンカを強制終了させられた子供の心の中では「本能として備わっている復讐心」がくすぶったまま、消えていないかもしれません。

 

「復讐心=悪」なのでしょうか? 

 

では何故人間の本能に復讐心が備わっているのだろう?

 

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シャリーアイスラム基本法)にはキサースという刑罰の定めがあります。

裁判官の監視の元、被害者が蒙った被害と同じものを加害者に与える、という刑罰です。これは元をただせば「目には目を」というハンムラビ法典から続く古典的な刑罰法です。

 

「目には目を、歯には歯を」という定めは、現代人には一見野蛮に見えるのですが、これは正確に言うと、「被害者が蒙った被害以上の報復をしてはならない」という、報復の上限を定めた合理的な法律なのです。

 

復讐心は人間に備わっている本能です。それを認めた上で、「ここまでの復讐は許可するが、それ以上の復讐をすると、報復の連鎖が起き、双方が破滅する」ことを防ぐために「目には目を」の定めがあるわけです。

 

この刑罰法ひとつとっても「イスラム教徒には心の病が少ない」という理由が分かるのではないでしょうか。

 

誰かから不当な暴力を受けた人間が、復讐心を満たされず、加害者が反省もせずにのうのうと生きているのを見たら、心が病んでしまうのは当然ではないかと思うのです。

 

にもかかわらず、私たちは、復讐は許されない現代社で暮らしています。

 

法律的にも許されていないし、親や社会の教育によって、子供の頃から「復讐=悪」と「復讐心を抱いてもいけない」と教え込まれています。

 

昨今の保育園、幼稚園、小学校でよく見かける光景ですが、子供がケンカ(報復合戦)を始めるとすぐに先生や親が介入して「“ごめんね”って言いなさい」「“いいよ”って言いなさい」と暴力沙汰を(表面的に)おさめようとします。けどその解決方法は、子供の心の中では充分納得されているんでしょうか?「あの子に酷い目にあったのに、なんで…」という気持ちが、くすぶってはいないでしょうか?

 

「復讐を認めろ」と言っているんじゃないんです。復讐心が沸き起こってくる事自体は良い悪いもなく人間の自然な心理です。その心理を抑えこんでいると、人間の心は病んでゆくのです。

 

それは我が身をもって実感しています。

 

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僕はかつて父親に「謝らなければ殺してやる」と書いた手紙を送ったことがあります。それはEpisode15で書きました、

【Episode15】

https://halnoyamanashi.hatenadiary.jp/entry/2019/02/18/044929

 

こんな手紙を親に送りつけた事の賛否はあるでしょうけれど、その手紙を送った直後、僕はどんな気持ちになったかと言うと、「今まで味わったことがないほど晴れやかな気持ち」になったのです。

嘘でも何でもなく、本当にこんな気持ちになり、我ながら我が心に驚きました。

 

父が僕にどんなに理不尽な暴力を振るっても、母は僕に「やりかえす」ことを厳に禁じました。その上、暴力を受けても「何とも思わない大人になれ」と教え込んできたのです。

 

父に「殺してやる」という手紙を送りつけたことは物凄い暴力であるに違いありません。

僕は生まれて初めて、父に物凄い暴力を振るって、息子の暴力に深いダメージを受けている父と母を確認すると、僕の心に思いがけないほどの「晴れやかな気持ち」が沸き起こってきたこと。これはまぎれもない事実です。

 

おそらく、この「晴れやかな気持ち」をもっともっと味わいたいがために、人間は「過剰な報復」をしてしまい、やがて取り返しがつかないほどの報復合戦、…個人レベルでは殺人事件、国家レベルでは戦争、という悲劇が起こるのではないかと思っています。

 

僕はもうこれ以上の報復をするつもりはありません。

 

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さて今回は、この辺で終わりにします。

これ以上書いていると、また心が荒れてきそうな気がしますからね。(苦笑)

 

最後までお読み下さり、ありがとうございます。

 

Episode37~END~

 

To be continued