Episode39〜豊田市三つ子虐待死事件は「善悪の彼岸」にある出来事ではないか?
ハルです。
「豊田市の30歳女性が、生後11ヶ月の三つ子の次男を床に叩きつけて死なせてしまった事件で、3年6ヶ月の実刑判決を下された」というニュースについて、はてなブログのお友達がまったく正反対の意見を書かれていて👇、僕はこの事件に意見を述べるつもりはなかったのですが、ブロ友お二人の意見を読んでいるうちに、ふと、思いつくことがあったので、書いてみることにします。
【猫pさんのブログ〜豊田市の三つ子次男虐待死事件について思うこと】
http://nkobi1121.hatenablog.com
【桃さんのブログ〜豊田市三つ子虐待死事件について】
https://www.minimum-kosodate.com/entry/2019/03/24/190051
判決前に、残された二人の子と面会した母親が下記のコメントを発表し、このコメント以降、母親への同情の声が高まりました。
https://gifutatainet.com/?p=7320
ネットではおおむね、同情の声が多いようです。「実刑ではなく執行猶予を。母親が罪を償いながら、残された二人の子育てを出来るようにして」という署名活動も始まっています。
一方で(猫pさんのように)「いかなる理由があったとしても、ひとたび子の命を奪った者が、再び子の命を預かることはあってはならない」という意見を持つ人も居ます。
⭐️
僕は、第三者が、個人の意見で、この母親を「許す」「許さない」と言うことは出来ない、と思っています。
…この言い方、少し難しいですかね。。😓
賛否両論あるネットの意見を読んでいるうちに、僕は、こんなことを思い浮かべました。
その昔は「口減らし」「間引き」という風習がありました。生まれた子をすべて生かしておくと、家族共々生き残ることが出来ない場合、意図的に選別した子を殺生する風習です。
この豊田市の件は、明らかに「母親の育児能力を超える人数の子供が生まれてしまった」のだと思います。「口減らし・間引き」の風習があった時代ならば、出生時点で三人の子のうち何人かを殺し、残りを生かす、という選別をしたかも知れず、親がその選別をしたとしても、社会は黙認したのではないでしょうか。
私たち現代人は、自分が「そういう残酷な時代に選別されて生き残った末裔」という事を忘れています。
現代人の価値観だと「この母親は決して許されない事をした」と判断されますが、異なる時代であれば「致し方ない選択だった」と判断されたかも知れません。
「生きる」という根源的な問題は「現代人の価値観だけでは軽々に判断出来ない」と僕は思っています。
⭐️⭐️
こう考える僕に同意する人は、たぶん、ほとんど居ないと思います。
分別がつく年齢の子に「しつけ」と称して暴力を加え、死なせてしまう親に僕は怒りを覚えますが、生後11ヶ月の赤ん坊を床に叩きつけて死なせてしまった母親に、僕は何故か、怒りは感じないのです。同情もしないけれど。
野生動物の社会で生存の為の「子殺し」はいくらでも確認されています。それは「善悪」の彼岸にある出来事です。
この件は、それに近い出来事のように、僕には思えます。
⭐️⭐️⭐️
では、また。
今回も最後までお読みくださり、ありがとうございます。
Episode39~END~
To be continued
【追記】
「親殺し」「子殺し」はとても痛ましい出来事だと思いますが、僕は実際に「親を殺したい」と思ったことがありますし、あまりにも辛い育児にチラリとでも「この子を殺したい」と考えてしまう母親はたくさん居ると思います。だからこの母親が(特に育児中の親から)同情を集めているのだと思います。
ただし、実際に殺してしまったら、その罪に相当する罰は受けねばならないし、3年半の実刑は妥当だと、僕は思っています。
「残された赤ん坊が実親から離されるのは可哀想だ」という声もありますが、現代の乳児院や養護施設は、世間一般で思われているよりずっと環境はいいのです。少なくとも、うつ病の実母の元での余裕のない生育環境よりは「子供にとって」良い環境であることは間違いありません。そういう乳児院・養護施設の実態がよく知られていないから、この母親にしても限界状況になっているのに「施設に預けよう」と思い浮かばなかったんだろうし、世間も「親と赤ん坊が離ればなれになるのは可哀想だ、親元へ返せ」と考えてしまうんでしょうね。
母親はしっかり罰を受けて、罪を償って、病気の治療をしてから、子育てをリスタートした方がいい、と思います。
母親と残された子が将来幸せになれるかどうかですが、親鸞さんが「善人なおもって往生をとぐ、いわんや悪人をや」と言っているので、大丈夫です。