『だから仏教は面白い!』
随分久しぶりの投稿です。^_^
いま、春光堂一月読書会の選書『だから仏教は面白い!』↓
https://books.rakuten.co.jp/rb/13476162/
を読んでいて、途中ですが、感想を思いつくまま書いてみます。
https://facebook.com/events/1470055749816169/?ti=icl
第1章の「仏教はヤバいもの」というタイトル、なかなか上手くつけたなと思う。僕の実感でも仏教はヤバい、というか、仏教徒にはヤバい人が多い。
僕は両親が創価学会だったので、物心つく前に入信させられて、だから仏教との関わりは古い。念の為断っておくけど、創価学会は新興宗教ではなく、日蓮正宗というれっきとした伝統仏教の信徒団体です。
僕はもう、創価学会という団体とは縁が切れているけれど、仏教からは縁が切れずにいる。
僕がこの信徒団体から離れるきっかけとなったのは、今から三十年近く前の、創価学会が宗門から破門された事件である。(一般ニュースにもなったので知っている人もいるでしょう)。多くは説明しないけど、とても不愉快なものを数々見聞きした。仏門に入った僧侶であろうと、敬虔な仏教徒であろうと、ちょっとしたきっかけで驚くほど低劣な言動をとってしまう。しかも自らが低劣であるとは夢にも思わない。仏教徒とはかくもヤバい人間と化してしまうものかと思い知った。
仏教と関われば高尚な人間になれるかというと、そんなことはない。僕の実感では、心の奥深くに「ヤバいもの」を内在している人ほど仏教に深く関わってゆく傾向がある。
仏教とは病人にとっての薬のようなもので、病理を抱えている自覚のある人間ほど仏教に惹かれてゆく。元々ただならないレベルの病理が潜在しているので、ちょっと油断するとそれが顕在化する。顕在化したときのヤバさは、ハンパじゃない。
さて、第1章は「仏教では徹底して異性との交わりを禁じているけど、この戒律ってヤバくね?」となかなかそそるツカミから入っている。実はこの戒律はヤバいどころか、現代的な見地からいっても、きわめて合理的で有効な快復プログラムなのだ。
アルコール依存症という病気を抱えている人間が治癒する方法は一つしかない。完全な断酒である。一旦この病気になった人は「適度に酒と付き合う」ことは絶対に出来ない。
渇愛の情が強い人間、現代でいうところのアダルトチルドレンという病理を抱えた人間ほど、アルコール、薬物、ギャンブル依存症になることが多いという。
王家に生まれた悉達多は、肉体的・物質的な享楽は何不自由なく与えられたが、生母の愛が決定的に欠けていたために、狂おしいほど渇愛の情に苛まれていた。悉達多はれっきとしたアダルトチルドレンであったことだろう。この病理を抱えた人間にとって、過剰な肉体的・物質的享楽は、苦しみを深めこそすれ、癒すことは決してない。
この病理から快復するには、一切、肉体的・物質的享楽を断つしかないのだ。アルコール依存者が完全に断酒しなければならないのと同じことだ。
適度に酒と付き合える人間は酒を飲んでもいいし、適度に異性と付き合える人間は異性と交わってもいい。だが渇愛という病理を抱えた人間は、少しの油断でそれらの快楽に溺れ、自らを破滅させ、周りの人間も破滅させてしまう。そういう病理を抱えた人間の為に仏教という快復プログラムが必要なのだ。
ごく稀に薬も飲まず、医者にもかからずに、健康なまま天寿をまっとうする人もいるだろう。けれどそんな人はごくごく稀だ。ほとんどの人間にとって薬も医者も必要であるように、仏教は必要なのだ。
「現代社会は病んでいる」と指摘する人はウンザリするほど居るが、薬も飲まず医者にもかからなければ、病人が続出して、社会全体が病むのは当たり前だ。
「私は何の宗教も信じない」と言う人は「私は医者に行かない、薬も飲まない」と言っているのと同じだ。それで自分一人が病気になって苦しんで死ぬのなら構わないが、心の病は身体の病と同じで周りに感染するのである。その感染力は本人がタカをくくっている以上に強い。しまいにはパンデミックの如く社会に蔓延してしまう。それが現代社会の、この有様であろう。
この本の筆者は、とてもとても分かりやすく、噛み砕いた言い方で「現代人は誰もが少なからず病んでいるのだから、仏教というお医者さんに行こうよ」と導いてくれているのだ。
本の帯に書いてある「世界を終わらせろ」とは、どういうことなのか。貴方のそして私の心から発生した、病んだこの世界を終わらせろ、ということだ。
この世界を終わらせ、新しい世界に生まれ変わらせる為には、私の心を終わらせ、新しい心に生まれ変わらせなければならない。