毒親連鎖を断ち切りたい

子供の頃から長い間押さえこみ続けた負の感情の蓄積は人生に大きなブレーキをかけてしまいます。ここで真剣に毒親問題に取り組み、負の連鎖を完全に断ち切りたい。このブログで「脱毒親への道」を記録してゆきます。

Episode47〜平成から令和に変わるように

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ハルです。

 

約二週間ぶりのブログ投稿です。

 

今、山梨県立図書館に居ます。

ここの交流ルーム101という貸出スペースを5日間借りて、画廊空間を作り、展覧会を開催しています。

 

僕は甲府で15年間絵画教室を開いていますが、そこの生徒さんの作品と、僕の新作絵画作品を展示しています。

 

途中経過の画像を載せた作品も完成して展示してます。

 

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下の作品なんかは、ふつうにカッコイイと思う。(自画自賛

お近くの方はぜひ見にきてください。

 

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図書館で絵画の展覧会というのは珍しいかも知れません。

 

ここを画廊空間にする為に展示用パネルを自作したり、それ以外にもプライベートで色々あって。…まあ、このブログの主旨はそれを記録することなのですが、プライベートを乗り切る事に相当なエネルギーを費やして、その内容を書く余力が無いのですね。

 

妻とはこの二週間本当に色々なことを、深いところまで掘り下げて話し合って、ひとつ、大きな事に気がつきました。

僕は「毒親にだけはなりたくない」という思いが強く、息子に対する態度は気をつけていましたが、いつの間にか、妻に対して「毒夫」になっていたのです。

妻はこの数年、僕への不満が募っていて、その不満をまとめてぶつけられました。僕は夫として「妻の不満を聞く」ということを怠っていました。

このブログを書き始めた3ヶ月前は真っ暗な暗闇でもがき溺れている心境でしたが、妻ももがき溺れていたのですね。そのSOSに耳を傾けていなかった。

 

いろんなことが見えてきたけど、もうグダグダ理屈をこねている場合ではないんです。

「変わりたい」

ではダメです。

「変わっている」

ところを、具体的な行動で、周りの人たち(特に妻)に見せなきゃならない。

 

「変身しているオレ」を明確に示さなきゃならないんです。

 

行動あるのみ。

 

またしばらくお休みして、明確な変化を、次回にはご紹介したいと思っています。

 

では、また!

 

いつもお読みくださっている皆さまには、本当に感謝しています。

 

 

 

Episode27~END~

 

To be continued

 

 

 

Episode46〜只今脳内プログラム更新中…(少々お待ちください)

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ハルです。

 

これからしばらくは、ブログの執筆をする余裕がなくなってくると思います。

 

本格的なセッションが始まりましたが、これは一言で言うと「脳内プログラムの大幅な変更作業」です。

 

メンタルも微妙な状態になってきました。(悪い方向に進んでいるというわけではありませんが)。

 

リアルタイムで、この状態を、第三者に分かるように説明するのが大変難しい。

 

「脳内プログラムの変更」などと柔らかい言い方をしていますが、はっきり言えば「脱洗脳」をしているわけです。それも「書き換え」を自分の手作業でやっています。

 

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「振り返りノート」👆で、旧脳内プログラムにおける「」を見つけて、今までの自分の思考や行動に制限をかけていた、その「癖」を取り除くのが当面の目標です。これは、時には、吐き気がするくらいに不快感を感じる場合もあります。

 

僕が所属しているコミュニティはオンラインで常につながっていますが、そちらをみると、参加者の皆さんのメンタルが、大変微妙な領域に入り込んでいることが見て取れます。


いまだ感じたことのない不安感も沸き起こってきます。手術前の患者が「成功するだろうか?…もし失敗したら」と不安になるような気持ち。


しばらくは、コミュニティでのやりとりと、ノートを書く作業に専念したいと思います。

 

メンタルが落ち着く時があれば、ここを読んでいただいている人にも、有益になるような記事を書きたいと思っています。

 

⭐︎


では、また。

いつもお読みくださり、ありがとうございます😊

 


Episode46~END~

 

To be continued

 

 

 

Episode45〜カードをひっくり返すみたいに、ネガティブ感情をポジティブ感情にひっくり返す技術

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ハルです。

 

上は、今週になってから描き始めた作品です。

 

物凄〜〜〜く久しぶりに「絵を描くのが楽しい」と感じながら、書いています。

 

⭐︎

 

さて、


4月7日、日曜日ーー

都内某所で、第一回のグループセッションがありました。


…なんか、秘密の怪しい集いに参加するような、半分ワクワク、半分恐る恐る、という、奇妙な感覚です。


集合ビルの地下にある、シャレオツで落ち着いた雰囲気の会場には、16名の参加者が集まりました。


遠方で会場に来られない方は、オンラインでの参加で、総勢24名。


このグループセッションの具体的内容は「他言禁止」というルールがある為、今の段階では書くことは限られてます。(などと書くと、ますます怪しい感じがしてしまうのですが)。


午前11時から、途中1時間ほど休憩をはさみ、午後6時半まで。その後近くの居酒屋で懇親会となりましたが、ほとんどセッションの延長のような濃い話で、それが9時過ぎまで続いたので、相当な長丁場でした。


セッションの内容は(話せる範囲で)また後ほどあらためて書きたいと思います。


漠然とした言い方になってしまいますが、「心のプログラミングを変更する作業」なので、オールオープンに書けたとしても、第三者に分かってもらえるような説明がとても難しい、ということがあります。


今回は、この日、課題として出た「振り返りノート」について書いてみます。


⭐︎


「振り返りノート」とは、下の画像のように、1ページを線でタテに3つに区切り、左に「今日の出来事」を書き、真ん中に「それについて思った事、感じた事」を書き、右に「3日後に振り返って、同じ事について、何を思い、何を感じているか」を書きます。

 

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実は、グループセッションの翌日、妻と大衝突してしまいました。


きっかけは妻の「ある一言」です。


それについて、僕はとても嫌な気持ちになり、大きな怒りが湧いてきてしまいました。


それを「正直に」ノートに書きつけました。


その後、色々ありましたが、説明がかなり煩雑になるので省略します。


結果的にその日の夜には、ネガティブ感情が嘘のようにおさまり、「オレは今まで、妻への共感がもっとも足りなかった」ということに気がつきました。

 

 


…ここまでの説明だけでは、読む人は、訳が分からないでしょうね。(笑)

 

いきなり意識が転換するなんて、何のこっちゃ、と思われるかもしれません。

 

いえ、ですから、ここんところが、言語化が難しいんです。


前日のグループセッションでは「他人への共感が大事だ」ということを、理屈でなく、体感で思い知るようなワークを、まる半日かけてやったわけです。(内容は話せないけど)。


その翌日妻と大衝突するなんて、ある意味タイミングが良すぎるんですが、衝突するのは相手への「共感が足りないから」です。


グループセッションで「仲間への共感が大事」と思い知り、その翌日、いちばん共感しなければならない相手、妻への共感が全然足りてなかった、という事に気づく。


理屈でなく、皮膚感覚で、痛い思いを味わった上で、思い知るんです。


⭐︎⭐︎

 

僕はここ数ヶ月、毎日毎日、「嫌な過去」ばかり思い出して反芻していました。


嫌な過去ばかり考えていると、そこから逃れたいあまり、考え方が自動的に「〜しなければならない」になってしまう。だからどんどん苦しくなるんです。


「俺は変わらなければならない」


という風に。


でもこれって、苦しさが延々と続くループに自動的にはまってしまうんです。

 

常に「〜しなければならない」と考えていると、苦しくなるに決まってます。


グループセッションでのワークでもやったことなんですが、自動思考になってしまっている「過去の反芻」をやめる為には、無理矢理にでも「未来」を思い描いてみるんです。


そう、無理にでも。

頭の中で思い描くんじゃなく、紙に書きつけてみる。エンピツがへし折れんばかりに力強く。


苦しみなんて「そんなことあったかな?」ぐらいに思っている俺。


その「俺」を思い描いていると、不思議と考え方が「〜しなければならない」から「〜したい」に変わってゆく。


「〜しなければならない」→「〜したい」と、考え方のベクトルが変わると、何故か苦しい気持ちが消えてゆくような気がするのです。


…ここを読む人は「んなアホな」と思うかも知れませんが、本当に、意識がそう変わってゆくんだから仕方がない。

 

だってそうでしょう?

「〜したい」と考えるのは、誰だって楽しいでしょう?


⭐︎⭐︎⭐︎

 

 

「振り返りノート」の3日後の欄に、


「妻の言葉に怒りを感じたのは、妻に原因があったんじゃない、オレに原因があったのだ」


「妻への共感がもっとも足りなかった。妻への共感が第一だ」


と書きつけてみました。綺麗事じゃなく、本当にそう思ったから、書きました。


この気持ちが逃げないように…書くんです。


でも、まだまだ安心出来ない。「一歩進んで三歩下がる」ということが、これからザラにあるそうです。


そういうこともノートに記録してゆくわけなんだけれど。


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

 

このノートは、「上手く」書く必要はなくて、他人に読ませるものじゃありません。「正直に」書いてあるかどうかが一番大事なこと。


嫌になった出来事、その時の気持ちも正直に書く。


でも三日後ぐらいには気持ちが変わっている。


誰かに殴られたとか大怪我させられたとかじゃない限り、そんなにネガティブ感情は続かないんです。


「気持ちが変わる」ということを、自分の目に見える形で確かめる、というのが「振り返りノート」の役目なんだと思う。


トランプのカードがひっくり返るみたいに、ネガティブ感情がポジティブ感情に変わるのが目に見えるようになると、「なんだか楽しい」と思えてきます。


ネガティブ感情が強ければ強いほど、ひっくり返った瞬間を「目に見える形で見る」のが、とても嬉しい。楽しい。


…だから、これから将来「嫌な出来事」があっても怖くない、と思えて来ます。


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎


では、今日はこの辺で。


最後までお読みくださり、ありがとうございます。

 


Episode45~END~


To be continued

 

 

 

Episode44〜禁酒中

 

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ハルです。

 

仏画のような絵を描きたい」ということを以前書きましたが、近作は特に、その思いが強く、この作品は「菩薩のように描きたい」と願いながら描いていました。

 

いま禁酒をしています。

 

特に酒量が多くなってきた、ということではないのですが、「酒を飲む動機がよくない」ので、思い切って禁酒することにしました。

 

ここ最近、コントロールできないイライラが沸き起こってくる、ということは何度か書きました。ここのところの酒は、このイライラを誤魔化すために飲むようになっていました。

 

飲むといったんイライラが静まります。その勢いで床につきますが、すぐ目が覚めて、またイライラ(または不安)が始まります。なかなか熟睡できず、寝不足も加わって更にイライラする悪循環。

 

禁酒して約10日経ちました。

もともと寝つきはよくない方なので、入眠まで時間がかかりますが、寝不足感は飲酒時よりもずっと少なくなったような気がします。

 

⭐️ 

 

独身で一人暮らしをしていた頃が、最も飲酒量が多かったです。一番安い焼酎の一番大きなペットボトルを三日で空けていましたから、今では考えられない量を毎日飲んでいました。その頃はタバコも一日二箱空けていました。

 

妻と結婚する時にタバコをやめ、毎日の飲酒もしなくなりました。

毎晩ぐっすり眠れるようになり、体重が10kg増えました。

若い頃からずっと続いていた毎日の胃の痛みもなくなりました。

 

明らかに体質が良い方向に変わってゆきました。

 

ただ、ちょっとしたことで、すぐイライラがはじまることは、妻に結婚当初から指摘されていました。

 

でも、結婚生活が危機になるほどのことでもないし、これは性格なのだから仕方がない、と思っていました。

 

でもそれは甘い考えでした。

 

⭐️⭐️

 

自分でも、「この性格は何とかならないか」と、若い頃からずっと思っていたことです。

それは…

不愉快だったり、不本意だったり、腹が立つことがあっても、その時、その場では何も言わずにいる。実際、不愉快も不本意も怒りも、その時には強く感じていない。『まあこの程度はいいか』と思っている。が、時間が経ってから、自分はとても不愉快で、不本意で、すごく怒っていた、ということに気がつく、…ということです。

 

面倒な性格です。

 

でもどうやらその性格は、自分だけではないらしい。

【その場でクレームつけず、後から悪口ブログ】

https://www.j-cast.com/tv/2011/01/15085572.html

 

「サイレント・ボム」と呼ばれる日本人。

これはまさに自分自身です。

しかも僕の場合は、破裂しかかっているヤバい状態です。

 

⭐️⭐️⭐️

 

下の記事に書かれているような事は近頃いくらでも目にすることです。

【事実を把握せずにネットで鬱憤晴らし 他人の怒りに便乗する人の心理】

https://www.google.co.jp/amp/news.livedoor.com/lite/article_detail_amp/15981177/

 

例えば著名人が不祥事を起こしても、自分に害が及ぶわけでもないのに、なぜ我が事のように怒れるのか?

いや、我が事では怒れないので、自分から遠い他人、絶対に自分に類を及ぼすことがない人間に怒りをぶつける事で鬱憤を晴らしているのでしょうか?

 

でもそれって随分ゆがんだ感覚です。

 

⭐️⭐️⭐️⭐️

 

僕は、怒りで家の壁を拳でぶち破りましたが、普通の精神状態ではこんな力は出ません。

 

人間が野生で生きていた頃は「怒りの並外れたパワー」は必要でした。

 

敵を倒す為

生き延びる為

普段は不必要な、並外れた強力なパワーを引き出す為に、「怒り」は必要なのです。必要だから人間に備わっています。

 

でも、それが現代社会に生きる私たちの生活に支障をきたすなら、それとの付き合い方を学ばなければいけませんね。

 

酒を飲んで誤魔化すのは、何の解決にもなりません。

 

とりあえず禁酒してみて、ほんの少し良い方向に進んでいるような気がするので、続けてみたいと思っています。

 

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

 

では、また。

 

最後までお読みくださり、ありがとうございます。

 

Episode44~END~

 

To be continued

 

 

Epsode43〜どうしようもないアダルトチルドレンが歩く道には…生きるのが不器用な人間のための文学

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ハルです。

 

はてなブログのお友達のk77703230418さんの記事はいつも楽しみに読ませて貰っているのですが、下の記事に登場する「M君」のエピソードが、とても印象的だったので、それについて思ったことを書いてみたいと思います。

【誰にでも親しげなアダルトチルドレンは誰も愛していない】

https://k77703230418.hatenablog.com/entry/2019/03/03/180323

 

真面目で神経質な公務員の父と、お嬢様育ちのピアノ演奏家の母の元で育ったM君。その生い立ちと人生を読んでいると、まるで太宰治の小説を読んでいるように感じました。

 

太宰治アダルトチルドレンだったかどうかは分かりませんが、太宰の小説に出てくる人物、例えば「人間失格」の葉蔵は、典型的なアダルトチルドレンだと思います。

 

セレブの家に生まれ何不自由ない幼少期をすごした主人公の葉蔵は、人前では陽気な道化を演じ人気者ですが、実は子供の頃から、他人と、心の底から通じあうことがまったく出来ない人間でした。道化は「仮面」なのです。その仮面がいつか剥がされるのではないかという恐怖から、青年期に酒色に溺れますが、しかし、心はちっとも満たされずに、歳を重ねるごとに、ますます人生と他人に対する恐怖がつのるばかりでした。愛情を求め、女性遍歴を重ね、常に破滅的な結果に終わり、やがて度を超えた大量飲酒と薬物依存によって、ついには廃人になってしまいます。葉蔵をよく知るマダムは、こんなことになったのは「お父さんが悪い」と最後に言い残します。

 

こんな小説に惹きつけられる人が多いのは何故でしょうか。「葉蔵は私だ」と思う人が多いのは何故でしょうか。

 

⭐️

 

僕がアダルトチルドレンだと思うもうひとりの文学者は、俳人種田山頭火です。

 

「どうしようもないわたしが歩いてゐる」

 

という句の「どうしようもない」に、山頭火の人生への万感が込められていると感じるのです。

 

女癖、酒癖の悪かった父の行状に苦しんだ母が自殺したことが、山頭火の精神に決定的に暗い影を落としました。それ以来、不運と失敗ばかりの人生が続き、憂鬱を紛らす為に、憎んでいた父と同じように酒に溺れてゆきます。

 

山頭火自身、自殺未遂をしていますし、実弟も自殺で亡くなっていますから、「生きるのが不器用」が血に染み込んでいて、その自覚も大いにあり、自分の人生を呪っていたことでしょう。

 

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僕はその昔、大学時代の恩師のF先生に「お前は種田山頭火に似ている。顔も性格もそっくりだ」と言われたことがあります。

若いころから、通じる何かがあったのでしょうか。

 

いま、僕は坊主頭で、あご髭を生やしていて、しかも眼鏡をかけていて、上の山頭火の写真を見ると、気味が悪いくらいそっくりです。HPのプロフィール写真に使っても、もしかしたら、誰も怪しまないんじゃないかと思いますね。

 

⭐️⭐️

 

太宰治種田山頭火も、資産家の家で生まれ育ち、経済的には不自由しませんでしたが、抑圧された幼少期を過ごし、愛情に飢え、父を憎悪し、生きる苦しみを紛らす為に浴びるように酒を飲み、「どうしようもない」不器用な人生を歩みました。冒頭のM君も同じ種類の人間ではないかと思えます。

 

M君は、アルコール依存の自助グループや、親しいごく一部の人には、母への憎悪を吐き出していましたが、外の世界に対しては、母を美化し、自慢していたそうです。

 

太宰や山頭火は文学者ですから、自分の心の中にあるドロドロを「作品」という形で、世の中に吐き出すことが出来ます。

 

文学という「吐き出し方」を知らない人間は…

 

僕はM君のエピソードを読んで、太宰治の文学作品を読むような感銘を受けたのだけれど、k77703230418さんに「M君は太宰治を想起させますね」と言ったら、意外に思われたようです。

 

⭐️⭐️⭐️

 

自己の内にあるドロドロをありのままに描く「私小説」は日本で独特の発展をしたそうです。

 

それは「書く人」と「読む人」が揃っていなければ成立しません。

 

アルコール依存者の自助グループや、カウンセリングのグループセッションでは、「心の奥底にしまっておいたものを吐き出す」ということを行いますが、それはたった一人では出来ません。吐き出したものを無条件で受け止める人がいなければ成り立たないのです。

 

そのグループには同じ苦しみや失敗を重ねた人が集まっているので、安心して吐き出すことが出来るし、受け止める人も心から共感することが出来ます。

 

吐き出す」「受け止める」ことによって「苦しみを手放してゆく」。僕はこれが文学の本質ではないかと思うのです。

 

僕やk77703230418さんが属しているコミュニティは小さなものですし、そこで語られている事を「文学」などと言えば嗤う人がいるに違いありません。けれど、そのコミュニティの中にいる人間にとっては、そこで語られる事は「人生を根元から変える大きな力を持った物語」なのです。

 

これが社会全体に広がれば、それが普遍的な「文学作品」として評価される。ただそれだけの違いです。社会的評価があるかないかだけで、僕という個人にとってみれば同じ力を持っています。

 

⭐️⭐️⭐️⭐️

 

最近の日本の作家はドロドロした私小説をあまり書かなくなりました。

 

僕は文学好きの人間ですが、最近の作家の本はあまり読みません。エンターテイメント性の高い面白い本はたくさんあると思いますが、僕の中に石のように固まりどっかり居座っているモノを砕いて、洗い流してくれるような文作品が見当たりません。

 

僕のような人間からすると、たいへん残念な事です。

 

心の奥底にある苦しみを「吐き出す、受け止める」という場は、時代がどんなに変わっても必要です。

 

文学には、もうその役割は求められていないのかも知れません。

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では、また。

 

最後までお読みくださり、ありがとうございます。

 

Episode43~END~

 

To be continued

 

 

 

Episode42〜令和の令とカマボコの話

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ハルです。

 

4月1日の11時ごろ、外出していた妻が慌てたように帰ってきて、僕の仕事場に入るなり、「ハルくん、一緒に見ようよ」とスマホのTV中継画面を見せました。

 

妻は僕と正反対で、こういう大きな社会的イベントを素直に楽しむミーハーな性格。内向的な僕はちょくちょくそれに巻き込まれて、時々ウンザリしつつも、救われている面もあるので、一緒に、その小さな画面を見ることにしました。

 

画面の中の、豆電球のようにつややかな額の見慣れた年配男性が掲げた額には「令和」と書かれていて、僕は思わず「いい字だね」と言って、妻も頷きながら、改元にまつわるワイドショーネタのお喋りをはじめて、そこは僕は本当にまったく興味がないので適当に相槌を打っていました。

 

それにしても、年の途中の思わぬ時期に元旦がやってきたような、新鮮なリセット感はありますね。僕の印象はこんな程度だけれど、ネットから流れてくる声には「令和の令は、命令の“令”ではないか⁈」というものもありました。

 

そんな風に感じる人も居るのか、と思いましたが、でも、そう感じる人の心理の底には何があるんだろう?と少し思いを巡らしました。

 

⭐️

 

僕が井上さんのグループセッションを受けようとしたきっかけのひとつは、女房の「最近のハルくんは怖い」という切羽詰まった訴えがあったからでもあります。

 

去年の暮れから特に酷くなりましたが、この二、三年、僕はほんの些細なことで、イライラが止まらなくなっていました。

 

自分では気づいていなかったのですが…

 

例えば、僕が夕食の野菜炒めを作っている最中に、妻に「その中に冷蔵庫にある余ったカマボコ入れていい?」とでも言われようものなら、「命令するな!」と怒鳴り返していたのです。

 

いまこうして思い出してみると「俺どうかしていたぜ」と思いますが、怒っている最中は「『これとこれで野菜炒め作って』と言われたから、こうして作って、もう完成しかかっているのに、今さら『カマボコ入れて』って何だ! 最初に言え!」と、僕なりの当然の理由があって、怒っていたわけです。

 

でも、それを普通の言い方で言えばいいだけなんですよ。「もう出来ちゃったよ、面倒くさいし、別に食べればいいじゃん」みたいに。そう言えば妻も「そっか、そうだね」で済むし、妻も別に命令するつもりで言ったわけでなく「こうすればどうかな?」的に何げなく意見を言っただけ。それをいきなり「命令するな!」と怒鳴り返せば、妻にすれば何で怒られたのか訳が分からないし、当然傷つきます。

 

そんな、普通の会話が出来ないくらいに、僕の心の中は余裕を失っていたのです。

 

⭐️⭐️

 

「令和の令は、命令の令だ」と怒っている人の心理の底に何があるのか、よく分かりません。その人の中では、たぶん、必然的な理由があるのだろうと思います。

 

でも、外からは、何故怒っているのか、訳がわからないし、ごく普通の感覚の人には「そんなに怒ることかなぁ」としか思えません。

 

「怒り」という感情は、たとえ外からは理不尽に見えても、その人の中では必然的な理由があります。僕はそれを、ここ数ヶ月で身をもって思い知りました。だから怒りや不愉快な感情を表明することは悪いことだとは思いません。

 

ただ「令和の令」に怒っている人は、外からは、「カマボコ」に怒っている僕と同じくらいに、意味不明に見えるのです。

 

「怒り」の感情は否定しないけれど、「怒り」は表明の仕方を間違えると、周りの人を戸惑わせるばかりで、場合によっては、傷つけてしまうことだってあるのです。

 

ところが当人は「俺がこんなに怒っているのに、何故お前は俺の怒りが分からないんだ!」といって、更に激しく怒る。

 

周りは、その人が怒れば怒るほど戸惑いが大きくなり、訳が分からず、近くに居る人はどんどん傷つく、という負のループに入ってしまいます。

 

⭐️⭐️⭐️

 

ボンベの中に圧搾空気が詰め込まれているみたいに、僕の心の中には「怒り」がギュウギュウに詰めこまれていて、ほんのちょっとした意見にさえ「命令するな!」と怒鳴り返す。

 

いつの間にか、とても危険な状態になっていたのだけれど、ここで気がついたのは幸運でもあります。

 

これから半年かけて、ボンベのバルブを少しずつ開いて、空気を抜いてゆくわけです。…

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では、また。

 

いつもお読みくださり、ありがとうございます😊

 

 

Episode~END~

 

To be continued

 

 

Episode41〜わが友アジャセ、お前に会い、お前の声が聞きたい。

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ハルです。

 

前回【Episode40】で

https://halnoyamanashi.hatenadiary.jp/entry/2019/03/30/180216

仏典の「アジャセ王子の物語」について書いた後、妙にこの人物が気になり始めて、「わが友」とでも言いたいくらいに親しみを感じるようになりました。奇妙な気持ちです。本当に。

 

⭐️

 

アジャセの正式の名はアジャータシャトル。実在した古代インドのマガダ国の国王です。父ビンビサーラを殺害して王位に就いたのも史実で、アジャセ自身も子に殺害されたと伝えられています。

 

その時代は初期仏教が興った時代でもあり、ビンビサーラ、アジャセ親子は共に、釈迦と深く関わり、仏教に帰依して、初期仏教教団を支える有力なパトロンでした。

 

子が父を殺す、という出来事は戦国の太古には珍しいことではありませんでした。

 

アジャセには6人の重臣がいて、父殺害後、罪の意識に苦悩するアジャセに「あなたが悪いんじゃないですよ。いつまでも悩んだりしないで、早く忘れて、国を治めてください」と助言したとのことです。

 

その助言を聞いても、アジャセの苦悩はますます深まり、病も重くなるばかりでした。

 

アジャセの快復が始まるきっかけは、医師のジーワカ(耆婆)出会ってからです。

 

ジーワカは他の重臣のように「あなたは悪くない」「忘れなさい」などと慰めたり、助言したりせず、アジャセの告白を、ただただ、最後まで聞くだけでした。

 

アジャセはジーワカに率直に心の内を吐露します。

 

父を殺したいほど憎んでいたこと、憎しみのあまり殺してしまったこと、殺した後、父の愛情に気づき、深い悔恨が生まれたこと、…

 

ジーワカは話を聞き終わると「よく正直にお話してくださいました。罪を犯しても『自分は悪くない』と言い張る人間、あなたに『悪いのはあなたじゃない』とそそのかす臣下は畜生にも劣ります。あなたは自分の罪をお認めになっている。自分の罪を自ら認める人間は必ず救われるでしょう」そう言って、アジャセに、釈迦の下へ行き、教えを乞うことを勧めます。

 

⭐️⭐️

 

アジャセ王子の物語は「観無量寿経」という経典に記されています。僕は岩波文庫で「観無量寿経」を読んだことがありますが、物語は最初の方に概略が書かれているだけです。観無量寿経の後半には、この苦しみから救われる為の「」が延々と書かれています。はっきり言って、この「行」の部分は読んで面白いものではありません。

 

お経は「読書」するために書かれたものでなく、それを声に出して詠(よ)む、詠(うた)うことによって苦しみを手放すために書かれたものです。

 

観無量寿経を重視した日本の僧侶は親鸞聖人です。今でも浄土真宗のお寺では観無量寿経は根本経典とされています。

 

親鸞聖人が著した「教行信証」にはアジャセの物語が詳しく取り上げられているそうです。僕は教行信証は読んだことはありません。でも親鸞聖人がアジャセに強く惹きつけられた訳は、分かるような気がします。

 

親鸞の時代は、貴族社会が終わり武家社会が始まる動乱期でした。社会の秩序が大いに乱れ、子が親を殺す、親が子を殺す悲劇は、権力者階級から下々に至るまで、珍しい出来事ではなかった時代です。

 

そんな時代には、肉親どうしの殺し合いがあっても、当事者は、

「こんな世の中だ、仕方がない」

「こうなったのは、俺が悪いんじゃない」 

そういう理屈で、無理矢理に、自分や、周囲を納得させる者が大勢いたことでしょう。

 

でもそんな理屈じゃ、人間の心は納得しないように出来ているし、永遠に救われず、一生苦しみ続けるように出来ているのです。

 

当事者が「こうなったのは仕方がない」「私が悪いんじゃない」と開き直れば、苦しみは続き、負の連鎖も続きます。そんな風にして世の中がどんどん悪くなってゆくさまを、親鸞は目の当たりにしていました。

 

 人を裁くべき権力者階級の宮廷内部は、当時倫理観など無いに等しく、グチャグチャのドロドロ。新しく始まった武家社会では、貴族社会より更に、肉親を殺すことを躊躇しない風潮がありました。

 

親鸞聖人の浄土真宗は、そんな時代に生まれたのです。

 

僕は浄土真宗の信徒じゃないし、親鸞聖人の行状を詳しく知っているわけじゃありません。だから、ただの想像なんだけれど、…


親鸞聖人は、肉親を殺す大罪を犯した者に出会ったとき、説教めいたことは何も言わず、ただ黙って、その人の告白に耳を傾けていただけ、なんじゃないかと思うんですよ。


罪人の告白を黙って聞いているうちに、その罪人の心の深い部分から、罪を悔いる気持ちが自然に浮き上がってくる。その気持ちが浮き上がってきたときに、


「善人なおもって往生をとぐ、いわんや悪人をや」


という言葉をかけたのではないかと。

 

そうでなければ、この言葉の深い意味が、理解できません。

 

そして、親鸞聖人自身に「俺こそが罪人である」という自覚がなければ、罪人の告白をただひたすら聞く、という行為は出来ないんじゃないかと思うのです。


⭐️⭐️⭐️⭐️

 

アジャセという大罪人の生涯は、二千年後の日本の僧侶に大きな影響を与え、大きな教えを生み出し、今の時代に同じ苦しみを持つ人たちにとって、救いの道しるべにもなっている。

 

不思議なことだなぁ、と思いますね。

罪人にだってちゃんと存在する意味があるんです。

 

では、また。

 

いつもお読みくださり、ありがとうございます。

 

 

Episode41~END~

 

To be continued