Episode40〜「アジャセ王子」と「カラマーゾフの兄弟」親殺しの物語
ハルです。
前回Episode39を書いてから、6日開いてしまいました。
【Episode39〜豊田市三つ子虐待死事件は「善悪の彼岸」にある出来事ではないか?】
https://halnoyamanashi.hatenadiary.jp/entry/2019/03/25/220428
とても重い内容だったことと、お友達のコメント欄に書き込みをしたり、コメント欄の他の方の書き込みを読んで、更に深く考えてしまい、新しい記事を書く気になりませんでした。
このブログは重たい記事が多いので、毎日記事をアップするのは精神的にとても無理です。一週間に一記事くらいがちょうどいいのかなと思ってます。
どうか気長にお付き合いください。
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「親殺し」「子殺し」は法律上の犯罪であるだけでなく、仏教、キリスト教、イスラム教、あらゆる宗教で大罪とされています。
その罪を犯してしまった者は、たとえ裁きを下されなくても、みずから、自責の念で苦しみ抜くことになります。
現代は法の下であらゆる人間が平等ですが、その昔は、特権階級の人間は殺人の罪を犯しても裁かれることなく免責されていました。(現代でも北朝鮮のような独裁国家では、最高権力者が殺人を犯しても裁かれることはありません)
しかし、たとえ特権によって法による裁きが下されなくても、罪を犯した者の心には「苦しみ」という罰が下されます。人間の心は、そういう風に出来ています。
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👇これは仏典にある有名なお話です。
【親殺しアジャセ王子の物語】
http://onboumaru.com/085-ajasetoshaka/
父ビンビシャーラ(頻婆娑羅)王を殺した子のアジャセ(阿闍世)は、特権階級の人間ですから殺人の罪では裁かれることはありません。しかしその罪に苦しみ抜いて、苦悩が身体にも及んで恐ろしい病に冒されます。
アジャセの苦悩からくる病は、母イダイケ(韋提希)夫人の慈愛と、仏陀の慈悲によって取り除かれた、と伝えられています。
(下の画像は手塚治虫の漫画『ブッダ』の一場面。ブッダの指から溢れでる慈悲のエネルギーでアジャセが癒されるシーンです。)
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世界文学最高傑作とされる、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』も、「親殺し」の物語です。
カラマーゾフ四兄弟の父ピョートルのモデルは、ドストエフスキーの実父ミハエルだと言われています。ミハエルは典型的な毒親でした。ドストエフスキーは若い頃から父へ強い憎悪を抱いていましたが、ミハエルがある殺人事件によって殺されてしまい、そこで初めて「自分の心の奥底にあった父への殺意」にみずから気がつき、あたかも自分の手で父を殺してしまったかのように思い、苦悩します。
その心理的体験が『カラマーゾフの兄弟』という作品に結実しています。
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アジャセにしてみれば父ビンビシャーラを憎む理由があったし、ドストエフスキーにしてみれば父ミハエルを憎む理由がありました。そして、世の中には、親を殺したいほど憎んでいる子は多いでしょう。
毒親問題とは今に始まった現代的な問題ではなく、宗教の聖典にも書かれている、きわめて根深い問題です。
有り体に言って、僕は去年の暮れの妹からのメール以来、とても苦しい心の状態が続いています。
これは自分ひとりの苦しさではなく、太古の昔から、アジャセが生きていた時代から続く、運命的な重荷であるような気がします。
しんどいけれど、生きていかねばなりませんね。
では、また。
いつもお読みくださり、ありがとうございます。
Episode40~END~
To be continued