毒親連鎖を断ち切りたい

子供の頃から長い間押さえこみ続けた負の感情の蓄積は人生に大きなブレーキをかけてしまいます。ここで真剣に毒親問題に取り組み、負の連鎖を完全に断ち切りたい。このブログで「脱毒親への道」を記録してゆきます。

Episode4〜感情を「吐き出す」ことと「書く」こと、「受け止めてもらう」ことについて

 

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ども、

ハルです。

 

前回は、

脱洗脳のために「書く」ことは有効な手段だ、ということに触れました。

毒親のセッションでも「書き出すワーク」を取り入れているカウンセラーは多いと思います。

毒親に育てられた人は、本当の感情を抑えこむことが習い性になっているので、溜め込んでいた感情をまず「吐き出す」ことが必要、ということです。

そしてもうひとつ必要なのは、それを「受け止める」人です。

自分の子供時代を思い返すと、自分の本心を打ち明けても、それを受け止めてくれる人が居なかった。それが長い間続いたために、本心を打ち明けることが出来ない、いやそれどころか、自分の本心が何か分からない、という性格が固まってしまうのです。

吐き出す」ことは重要ですが、「受け止める」人が、同じくらいに重要なのです。ふたつ揃わないと意味がありません。

カウセラーの最大の役割は受け止めることです。受け止める人がいるから、安心してどんどん吐き出せる、吐き出すことによって、次第に自分のほんとうの気持ちが、くっきりと、自分の目の前に立ち上がってくる。

僕の脱教団の過程で、最初、底知れない不安にとらわれたのは、自分のほんとうの気持ちがはっきり掴めなかったからです。「教団にとどまりたい」がほんとうの気持ちならとどまればいいし、「離れたい」がほんとうなら離れればいいだけです。自分の本心を自分自身がはっきり把握していれば不安になることなんてないんですよ。当たり前といえば当たり前のことです。でもガッチリ洗脳されているとその当たり前が出来ない。

車を運転している時、助手席や後部座席にいる人が運転手にワーワー指示して、運転手がいちいちそれを聞いて、アッチコッチさ迷っていたら、運転手はいつまでも不安な気持ちのままで、しまいには事故を起こしてしまうでしょう。自分の車はしっかり自分の意思で運転しなきゃいけないし、行く先も自分の意思で決めなきゃいけませんね。自分のほんとうの気持ちが自分ではっきり分かっていれば、人生というドライブロードを自分の意思で、自分の行きたい方向へ、運転してゆくことが出来るんです。

このブログを書いている意図のひとつは、「自分はほんとうは何を望んでいるのか?」をはっきり掴みたいからです。

ブログの第2回で、高額なお金を払ってグループセッションを受けるべきかどうか?揺れ動いている、という気持ちを書きました。今も揺れ動いています。僕にとって人生の岐路といってもいい選択ですからね。そりゃ迷います。

迷っているけれど、こうして書いているうちに、気持ちが固まってゆくだろう、という目論見をもって書いているのです。

 

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さて、このブログを開設しようとしたきっかけの、もうひとつは、瀧波和賀さんのnote👇

https://note.mu/kazoku_sukiyaki/n/n68d1fea19d91

を読んだことです。

このnote では、毒親だったお母様との思い出、気持ちが率直に書かれています。SNS等で広くシェアされた記事なので、もしかしたら、ご覧になった方もいるかもしれません。僕は大変感銘と刺激を受け、ブログを開設して、自分の問題を真正面から書いてみようと思い立ちました。

瀧波さんは育児メディアの編集者で、育児関係のコラムも執筆されています。正直とても文章を書くのが上手い方だと思います。読み通すのが辛い内容ですが、最後まで一気に読んでしまうし、広くシェアされているのは、文章の巧みさによるところが大きいと思うのです。

一方でネットには、毒親体験を書いて発信されている方は他にもたくさんいます。僕はいくつか読んでみました。やはり内容が内容だけに読むのが辛いし、申し訳ないことに読み通すのを断念したものもあります。

僕は自分の毒親体験をこのブログではまだ書いていません。書こうと思えば書けますが、当分書かないと思います。書いたとしても、誰にも受け止めてもらえなかったら、書く以前よりも傷つく、ということが分かっているからです。

だって、子どもの頃、自分の本心を打ち明けても受け止めてもらえなかった、という苦い思いを散々味わって、そのトラウマがいまだにしっかりと胸に刻まれているんですよ。。(苦笑)。同じ苦い思いを味わうリスクを、ブログ開設ホヤホヤで冒すつもりはありません。

想像なのですが、瀧波さんは、今まで胸に秘めていた思いを書くことによって、吐き出して、それを多くの読者が受け止めてくれた、それによって、長年胸に溜まっていた感情を(おそらく相当程度は)手放すことが出来たのではないでしょうか。

前回述べましたが、僕は脱教団で同じような体験をしたので、そうではないかと想像しています。

 

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でも、毒親問題を抱える人が、皆文才があるわけではありません。不特定多数の読者に届く文章を書ける人はごく稀です。

怒り、恨みを生のまま書き綴った、ほとんど親への呪いに近い告白を目にすることもありますが、その気持ちも僕は充分わかるけれど、ネットにそれを公開しても、受け止める人はまず居ない、いてもごく限られた人だけだろう、と思うのです。

それに僕は、呪いはむやみに公開の場に書いてはいけないし、受け取ってもいけない、と思っています。

カウンセラーという専門家は、クライアントのどんな告白も受け止める訓練を受けています。そのために高いお金を払うわけだけど。前回述べたように、怒りの感情は、ひとつ間違うと、自分の怒りに自分が飲み込まれてしまう恐れもあり、(怒りを吐き出すことは一種の快感でもありますから)、専門家はその軌道修正の方法も心得ています。

文才があって、受け止めてくれる読者に恵まれている人はカウンセラーに頼らなくても、ネットを利用することで、毒親問題を乗り越えることが出来るのかも知れません。でも普通に考えて、とても難しいことだと思うのです。

感情を書いて吐き出す受け止めてもらう、というプロセスが、この問題を乗り越える為に絶対に必要である、ということは、はっきりしています。そのプロセスも、ひとつ間違うと危うい方向に転がるリスクをはらんでいます。

やはり毒親問題を根本的に解決するには、お金を払ってでも、専門家の助力を乞うしかない、という結論に至ってしまいますね。

 

うーむ、さてさて。。

 

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                               Episode4〜END〜

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                                To be continued