毒親連鎖を断ち切りたい

子供の頃から長い間押さえこみ続けた負の感情の蓄積は人生に大きなブレーキをかけてしまいます。ここで真剣に毒親問題に取り組み、負の連鎖を完全に断ち切りたい。このブログで「脱毒親への道」を記録してゆきます。

Episode32〜僕はアートの世界の「文脈」が嫌い③

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ハルです。

 

前回、前々回と、アートについての僕の思いを忌憚なく正直に書いてみました。

Episode30〜僕はアートの世界の「文脈」が嫌い①

https://halnoyamanashi.hatenadiary.jp/entry/2019/03/13/024052

Episode31〜僕はアートの世界の「文脈」が嫌い②

https://halnoyamanashi.hatenadiary.jp/entry/2019/03/14/221252

 

毒親の話題からは離れますが、このブログは「自分の心の変遷」の記録でもあります。

やはり、アートへの思いは書こうと思えば溢れるほどあるので、ここでまとめて書いておこうと思います。

 

👆冒頭の画像は『祝福すべき多くの世界』という作品です。

これは僕にとっての「悲母観音像」とも言えるもので、私家版仏教絵画のシリーズに連なる作品です。

 

この作品は「佼成」という、立正佼成会の機関紙の表紙に掲載して頂いた事があります。

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僕はかつて創価学会に所属していたことがあります。(そこを脱会したことは、このブログに度々書いています)。ご存知の方がいるかも知れませんが、創価学会も、立正佼成会も、日蓮仏法の「文脈」に連なる宗教団体です。

 

僕は創価学会という団体には、もう未練も執着も持っていませんが、日蓮仏法には、今でも言葉では表現しきれないほどの思いを持っていて、僕という人間の何割かは日蓮仏法によって成り立っているとさえ思っています。

 

日蓮の教えに連なる宗教団体の機関紙の表紙に、しかも私的な「仏画」のつもりで描いた作品が掲載されたことに、言い難い仏縁を感じざるを得ません。

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さて、

ここからいきなり話が転換して、アートのお金の話になります。

現在の日本のアート市場は3000億円ぐらいだそうですね。一方、世界のアート市場は約20倍、6〜7兆円だそうです。

 

最近の世界のアート市場規模を数字の上で押し上げたのは言わずと知れた中国マネーです。伸び率の数字をここに書くとクラクラしてくるので書きませんが、とにかくビックラこく数字なのは間違いない。

 

ただアート市場全体としては、ここ数年「頭を打った」感があるように感じます。上がったとしても「桁外れの伸び率」は、もうないのではないでしょうか。

 

その根拠は(もう誰もが分析していますが)、

ひと昔前まで後進国だった中国が先進国入りして、お金持ちになった分、アートにお金を使うようになりました。アート市場の売上の伸長に中国マネーが貢献したのは間違いない。ここに来てアート市場の伸び率が止まったのは、中国の経済成長率が止まったから、というのが大きな要因です。

 

世界の、残る後進国を経済発展させてお金持ちにすれば、またアート市場は伸びるでしょうけれど、地球上を見渡してみると、それらの後進国の多くはイスラム教国家が多い。

 

イスラムの国で、性器を晒した作品はまず受け入れられない、というか、ナチス焚書みたいにボンボン火にくべられてしまうか、自分の◯◯◯を作品にした某女性美術家などは殺されても文句は言えません。

 

…と、少々オーバーに書きましたが、イスラムはそもそも「形あるもの」に執着することを嫌う宗教なので、造形芸術そのものが、イスラム教国家では成り立たない、と想像されます。

 

仮にイスラム教国家が軒並み豊かになったとして、現代アートの売上が、中国経済が伸長した時と同じように伸びてゆくのか?

 

⭐️

 

でも、よくニュースで聞きますよね。「◯◯の作品が◯◯オークションで最高落札価格更新!」とか。そのうち作品一点が10億ドル(1000億円)超える日が来るだろうとも言われています。

 

アート市場は相変わらずイケイケで景気がどんどん良くなってきている印象があるし、これが永遠に続くようにも思えます。

 

ただ、僕の肌感覚ですが、「売れる作家・作品」と「売れない作家・作品」の格差はどんどん開いてきています。一見景気がいいように見えるアート市場ですが、お金は一部の「売れる作家・作品」に集中して、その傾向はどんどん強まっているように感じます。

 

景気がいいように見えるし、「何某という作家が◯◯という記録を更新した」という話もよく聞きます。でも現場の作家には「景気がいい」という感覚はまるでありません。

 

A.めっちゃ売れる作家

B.そこそこ売れる作家

C.売れたり売れなかったりの作家

D.売れない作家

 

と大雑把に分類すると、僕は15年くらい前まではB、10年ほど前からBとCの間ぐらいになり、今はCとDの間ぐらい。(そのうちDに転落するかもという恐怖に打ち震えています)。

 

ナンチャラの法則(検索して調べてね)というのがあって、市場が成熟すると、上位2割が全体の8割の売上を独占するそうです。僕の肌感覚でも、現在のアート市場は、この法則に当てはまっていると思います。

 

もうひとつの定理があり、上位のお金持ちほど、B、C、Dには見向きもしない。これも僕は肌感覚で痛いほど分かります。

 

「Dに転落しつつあるのが分かっているなら、上位2割に食い込む戦略を立てて、努力すればいいじゃないか」と言われるかも知れませんが、(そういうことも今までけっこう言われたものですが)、正直なところ、いまの僕には、まったくその気持ちが湧いてきません。

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あ、

懸命な読者はもうお気づきかも知れませんが、今のアート市場のど真ん中で活動したい、という方には、僕の文章は何の役にも立たないので、もうお読みにならなくて大丈夫です。

 

何度も言いますが、このブログは、僕の私的な「心の変遷」を記録するのが第一目的なので、ここまでに僕が書いたことも、とどのつまりは、心を病んだ一絵描きのタワゴトに過ぎません。

 

さて、タワゴトを続けるとします。

…とはいえ、少しは役立つ(かもしれない)話を、ここから書いてみますね。

 

僕は院展という、権威ある日本画の公募団体に、20年出品していました。

 

僕が院展で思い知った絶対原理は、

 

作家には自分の作品の価値を決めることは出来ない。

 

ということです。

 

どんなに「作家の価値観で傑作と思える作品」を描いたとしても、落選したら「価値なし」です。これは作家がどんなに歯ぎしりしても、動かすことが出来ない絶対原理です。 

 

入選する→受賞する→無鑑査になる→同人(審査員)になる…という階段を上がるごとに、作品の価値(値段)は上がってゆきます。

この原理は機械仕掛けの歯車のように徹底しています。

 

徹底していないと、マーケットが混乱して、あっちこっちに不都合や、トラブルが頻発してしまいます。

 

作家に自分の作品の価値(値段)を決める権限はありません。

作家とその作品の価値(値段)を決めるのは、公募展の審査員です。

厳正なる審査を経た公募展での成績によって、作家・作品の価値が決められます。

 

ちなみに、僕の作品の現在の販売価格は、院展に入選を続けていた頃に決められたものです。

僕は今は院展を辞めて無所属です。

辞める時に画商さんに相当反対されました。「作品の価値を決める場所」からドロップアウトしてしまうわけですから、出来るだけ作品の価値(値段)を上げて売りたい画商さんは当然反対しますよね。

 

それでも、僕の作品はそこそこ売れました。僕は公募展での位置よりも「作品そのもの」が評価される稀な作家だったので、そういう例外が起こったわけです。

 

⭐️⭐️

 

つい最近、院展の恩師だったF先生のお宅に伺って聞いた話によると、院展の審査員といえども、最近は作品が売れなくなったそうです。

 

別の公募展の審査員のT先生とお話をした際にも「大学教授や公募展の審査員でも今は売れないよ。私が知ってる作家で売れてるのは5人ぐらい。私も含めて皆売れなくなった」との事でした。

 

F先生もT先生も、日本画家なら誰でも知っている著名な作家です。その先生方が、こう言っているということは、つまり、作家の価値を決める権威は公募展から、別の場所に移ったのです。

 

現在、作家・作品の価値(値段)を決めているのは誰か?

 

世界のアートフェア、アートイベント(ベネチアビエンナーレ等)、有名美術館での展覧会を仕切るキュレーター。権威ある美術学者。有名コレクター。一部の投資家などです。

 

公募展の審査員のように、名前がはっきり公表されているわけではありませんが、分かる人には分かっています。(俺は知らんけど)。

 

彼らは、どこかの審査会場で一同に会して話し合っているわけではありません。その辺の具体的仕組みは僕もよくわからないけど、とにかく一部の権威ある人たちが現代アートの価値を決めている事は暗黙に了解されている事実です。

 

で肝心の「審査基準」ですが、これは公募展の審査が非公開でブラックボックスなのと同じで、現代アートの価値を決定する基準は、外からはまったく分かりません。

 

ところが、業界の暗黙知というやつが、どこにでもあるわけです。

院展に20年出品した僕の経験から言うと、ある程度入選を重ねると、ぶっちゃけ、ブラックボックスの中の審査員の価値基準が見えてきて、入選する為の「傾向と対策」がだんだん分かってくるものなんです。

 

現代アートにも、はっきり言えば「それ」があります。

 

村上隆さんは、現代アートが売れる「傾向と対策」を日本人作家の中でいち早くつかみ、しかもそれを「アートは文脈だ!」というメッチャ分かりやすいワンフレーズで広めた人です。

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村上さんは、僕の三年上の先輩ですが、学生時代から、とても絵が上手い上に、大変な努力家でした。

 

僕が大学一年の時、村上さんは四年生。僕が初めて観た芸大の卒業制作展の会場で、村上さんの作品は、はっきり言って、他を圧倒する出来栄えでした。

 

村上さんの卒業制作への意気込みは、隣の一年生教室で制作をしていたヒヨッコの僕たちにもビシビシ伝わる並々ならぬものであったことを、今でもはっきり覚えています。本人は首席をとるつもりでいたし、周りもそう感じていました。

 

ところがフタを開けてみると、卒業制作の順位は四番目。本人もあらゆる場所で述べていますが、相当なショックだったようです。

 

僕は今でも、卒業制作の審査をした先生方の価値基準が不可解でならないのですが、ひとつ考えられるのは、村上さんは「才能がありすぎて審査の先生方に嫌われたのではないか」ということです。

 

あまり大きな声では言えませんが、いや僕はもう芸大日本画科と縁もゆかりもなくなったから、はっきり言うけれど、日本画の世界は、上の先生から愛されないと、ほぼ一生浮かび上がれない世界なのです。

 

村上さんがそういう日本画の世界に早々と見切りをつけて、現代アートの世界に飛び込んだのは、まったく正しい選択でした。

 

新天地の現代アートの世界では、日本画の世界で痛い思いをした経験を逆バネにして、きっちり結果を出したのは、皆様ご存知の通りです。

これはマジスゲェ事だと僕は思います。

 

まあとにかく、作家には自分の価値を決める事は出来ない、作家の価値を決める人は作家には手の届かない雲の上にいる、という、身も蓋もない絶対原理がアートの世界には今も昔も存在しているのが現実なのであります。

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話をここで終わりにしてもいいのですが、仏教徒の僕は蛇足と知りながら、ここまでの「文脈」の末尾に「無常」の味わいを添えたいところです。

 

僕が院展に初入選したのは二十三、四の頃でしたから、もう30年近く前の事です。その時分の院展の「作家の価値を決める」絶対的権威は揺るぎなく、駆け出しの僕はそれが永遠に続くと思っていました。

 

その院展、その他の公募展の権威が次々と失墜して、名だたる日本画家の作品が「売れなくなる」とは、誰も想像しなかった事です。想像しなかった事が僅か30年で起きています。

 

僕はどうしても「無常」を感じてしまいます。

 

今「世界のアートの価値を決める絶対的権威を持つ」人々も、その権威が永遠に続くことはありません。

 

この世界は「無常」ですから。

 

⭐️⭐️⭐️

 

では、今日はこの辺で。

 

最後までお読み下さり、ありがとうございます😊

 

 

Episode32~END~

 

To be continued

 

 

※この稿続きます。

Episode33〜僕はアートの世界の「文脈」が嫌い④

https://halnoyamanashi.hatenadiary.jp/entry/2019/03/17/082906