Episode7〜「見えない虐待」「分かってもらえない親の毒」
ども、
ハルです。
前回の記事の終わりに、
「このブログを閲覧し続けてください」
と、図々しくも、生のお願いを書いてしまいました。😅
ちょっと、ハズいお願いだったかな、と思っていたんですが、…昨日の閲覧数は、…なんと前日までの約4倍ありました。
閲覧してくださった皆様❗️
ほんっとに、ありがとうございます❗️❗️
前々回は自分の過去の体験、前回は虐待事件について書きました。これに触れると、子どもの頃味わった「怒り」「哀しみ」が、その時そのままに体によみがえってきて、投稿した後も気持ちの動揺が続いて、正直、いい気持ちはしません。
でも、自分の体験を元に書かないと、やはり毒親問題を掘り下げることは出来ないんですね。一気にすべてを吐き出すのはシンドいですが、少しずつ書いていこうと思います。
幸運にも、閲覧数が伸びたので、苦しい気持ちが癒されました。繰り返し御礼いたします。
ありがとうございました❗️❗️😊
えっと実はですね「はてなブログ」というものが何なのかよく分からずに始めて、使い方をまだ把握していないんですが、ここ2、3日、「スター」(SNSで「いいね」にあたるもの?)をつけていただいたりして、つけていただいた方は毒親関係の記事を精力的に書いている方だったりして、僕はこのブログを始める前に若干毒親関係サイトをリサーチしたのだけれど、「はてなブログ」で記事を発信されている方は(僕の印象では)前向きに毒親問題を捉えているんだなぁ、と感じます。やっぱり読むのは辛い内容なんだけれど、同じ問題を抱える身としては、刺激と励みをいただきます。Episode3でも書きましたが、この問題は「仲間がいる」ということが、乗り越えてゆくのにとても大切なの要素ですから。(勝手に仲間にされちゃ迷惑かも知れませんが😓)。まあとにかく、ブログ開設早々で、様々な事に恵まれて、ほんっと、有り難いと思っています。
さて、
僕のブログに、いちばん最初にスター(いいね)をしていただいたチャコさんのブログに飛んでみると、こんな記事がアップされていて、…
『毒親のことを話すと人格を疑われる件』
https://www.aoitori3.com/entry/2019/02/05/150103
…あ〜これは分かる分かる、分かるなぁ、毒親を抱えている人は、たぶんほとんど皆、こんな気持ちを味わっているんじゃないかなぁ、って思ったわけです。
虐待事件が報道されるたびに、世論は「なぜ子どものSOSを放置していたんだ!」と沸騰しますが、リアルに虐待当事者の子どもが声をあげたとしても、大抵は「そんなの大したことないよ、気にすることないよ」と返されて終わりですよ。いや、本当にそうなんです。具体的な暴力でさえ「昔の親父はみんなそうだった」で済まされちゃう。
まして理解されにくいのは(母親の場合に多いのですが)「暴力をともなわない虐待」です。
Episode4で紹介した滝波和賀さんのケースも、☝️のチャコさんのケースも、母親は目に見える暴力を振るっているわけではありません。チャコさんが具体的にあげている例のひとつひとつは、
「お土産を買ってもらえなかった。」
「部屋の窓を拭いてもらえなかった。」
「車で送ってもらえなかった。」
「成人式の着物を買ってもらえなかった。」
…と、たいした事ではない(というわけでもないんだが)ように思えます。けれど長い長い間これらの小さな出来事が降り積もり、子どもの胸の中には、いつの間にか真っ黒な毒がこり固まってしまうのです。その毒は(チャコさんの言葉を借りると)本人さえ気がつきもせず、ドロドロに煮詰まって、その後の人生を悪い方向に導いて行くのです。
もちろん親の方には罪悪感は1ミリもありません。
僕は長い間、父の暴力を酷いと思っていました。母も暴力を受けているし、母はむしろ子を大事にしてくれている、と思い込んでいました。
しかし成人してからは、何故か、母と話をしているとイライラすることが多くなり、結婚して所帯を持つようになってからは、はっきり母の言葉に(そして存在そのものに)不快を感じるようになりました。
不快を感じるのだけれど、何と言い返したらいいのか、どう対処したらいいのが分からない。
僕の女房が「もうお義母さんと会いたくない、東京の実家に行きたくない」と言い出し、そのわけを聞いてから、やっと、母は猛毒を持った毒母だった事に気付いたのです。
と、ここまで書いて、ちょっとシンドくなってきました。ほんの触りなのに。…うむむ。やはり自分の体験を吐き出すのはキツイ。他人じゃなく、実親のことだから。
続きは、次回にします。今日はごめんなさい。
ここまで拙文をお読みくださり、ありがとうございます。
Episode7〜END〜
To be continued