Episode34〜寅さん映画、アッバス・キアロスタミ、小津安二郎、サタジット・レイ、人間を肯定するステキな映画たち
ハルです。
昨日に引き続いて、自作の解説から始めます。
上の画像は『真夜中の惑星ゲーム』という作品です。
怪しげな異界の魔物たちが何やらボードゲームに興じていますが、ゲームの駒やチップに使用されているのは、なんと天体の惑星です。
夜空の星々はすべて北極星を中心に回転していますが、水星、金星、火星、木星、土星の五つの星だけは、他の天体の運行と関係なく、夜空を彷徨うように移動しています。その為「惑星」と呼ばれ、太古の昔、惑星は不可思議な大きな力によって動かされている、と信じられていました。
そういう話を、空想を膨らませて描いた絵です。
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一昨日の日曜の午後、妻と一緒に近くの市民会館へ、教育評論家の親野智可等さんの講演を聞きに行きました。
「叱らない」子育て論を普及されている元小学校教諭の親野さんのお話は、まるで漫談のように面白く、一時間半があっという間でした。
近ごろよく聞く「叱らない子育て」ですが、現役で子育てしている親からすると「叱らない」はまず無理です。
でも「叱らない」を提唱している方のお話を実際に聞いてみると、決して「叱ってはいけない」と言っているのでなく、「叱らなくてもいい」と言っているのです。
子どもは、叱らなければならない時もあるけれど(実際は親が思ってるほど多くない)、叱らなくてもいい時に叱ることが習慣づいてしまうと、子にとっても親とっても悪影響しかないということなのです。
「叱る」よりも、「褒める」「好きだよと言ってあげる」をたっぷりしてあげると、自己肯定感の土台がしっかり固まる。自己肯定感を持っている子どもは、何をするにも自信を持って行動し、失敗してもすぐ立ち直り、結果的に、自然に叱らなくてもいい人間に成長してゆくのです。
土台がしっかり固まっていない幼いうちに、叱ってばかりだと、自己肯定感はいつまでも持てず、自己肯定感のない子は自立心が育たず、結果的に、叱らずにはいられない子になってしまいます。
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話はガラッと変わりますが、
僕は映画『男はつらいよ』の大ファンです。48作すべて観ています。
説明の必要がないほどの国民映画で、映画館やDVDで観たことがない人も、内容だけは、誰でも知っているでしょう。
僕は、渥美清演じる車寅次郎のこんな台詞が、記憶するくらいに印象に残っています。
「親父はいつも俺にこう言ったもんさ、『おめえは俺が酔っ払った時に作った子だ、だからこんなバカに生まれたんだ』とね。俺ぁ悔しかったねぇ、真面目に作ってもらいたかったよ。好きでこんなバカに生まれたかったわけじゃねぇ。ガキの時分からバカだ出来そこないだと言われ続けて、ある日親父に死ぬほど殴られて、プイッと家を出て、それっきり。以来フーテン暮らしさ」
この父親は今で言う完全な毒親でありますが、寅次郎が早々に家出したのは…まあ…賢明な選択だったと言えるでしょうね。
こんな親に育てられて、寅次郎は自己肯定感の低い人間かというと、そうも見えないのです。コンプレックスの強さは伺えますが、どこに行っても物おじせずに、やたら行動力だけはある。数々の失敗(失恋)にへこたれず、すぐ立ち直る。
この人間的したたかさ(言い換えると人並み外れた自己肯定感)はどこから来るのか。
寅次郎が失敗をしでかして、「とらや」の家族が頭をかかえるたびに、柴又題経寺の御前様(笠智衆)が、よくこんな台詞を言うのです。
「あの男(寅)は愚かな男だが、仏に愛されておるのですよ。仏は愚かな人間が大好きなのです」
寅さん映画の世界観はこんな具合です。
寅はバカな男で数々の失敗を繰り返すけど、最終的には「とらや」の家族は寅を温かく受け入れている。
その「とらや」も含めた柴又のコミュニティ全体を、題経寺の御前様が見守っている。
寅の行動を注意深く見ていると、とても信心深い男だと言うことが分かります。いつも帝釈天の御守りを首から下げているし、旅の先々で、神社仏閣へのお参りと賽銭を欠かさない。
何故この映画がギネス記録になる程長い間続いたのか。何故日本人はこの映画を愛してやまないのか。
僕は寅さん映画の世界観そのものに、その魅力があるような気がしています。
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このブログではたびたびイスラムについて述べています。
前回はイスラム教徒でもないのに、イスラム絶賛の記事を書いてしまいました。
Episode33〜僕はアートの世界の「文脈」が嫌い
https://halnoyamanashi.hatenadiary.jp/entry/2019/03/17/082906
僕はかつて、イランのアッバス・キアロスタミ監督の映画を夢中になって観ていたことがあります。
アッバス・キアロスタミ作『友だちのうちはどこ?』トレーラー
https://m.youtube.com/watch?v=vWTL9AFrxUo
これは、友だちのノートを間違って持ち帰ってきた子どもがノートを返しに行く、というだけの映画ですが、この作品にはイランのごく普通の庶民、子どもたちの姿が(ほとんど職業俳優ではなく素人だそうです)、ありのままに、素朴に描かれています。
日本語字幕はついていないんですが、フルバージョンの動画もあります👇。これを見ると、イランの庶民生活の匂いがよく分かります。
https://m.youtube.com/watch?v=yE1GFeiZn_4
でも映画には、特別強く宗教色が押し出されているわけじゃない。
イランの庶民は、女の人はマメによく働いていますが、男の人たちは働いてるんだか働いてないんだかよく分からない。ある意味ダラけていて、ノンビリしていて、でもみんな不思議と充足して生きているように見えます。
僕がこの映画に惹きつけられるのは、俳優の演技とか、風俗とか、そういう部分ではなく(それも勿論素晴らしいのだけれど)、映画全体を包み込んでいる、この世界観です。
⭐️⭐️⭐️⭐️
アッバス・キアロスタミ監督は、熱烈な小津安二郎ファンでもあります。
『友だちのうちはどこ?』は小津安二郎の初期シリーズ『突貫小僧』に大きな影響を受けているようですね。これも一見にしかず、見比べてみるとよく分かります。
小津安二郎作『突貫小僧』
https://m.youtube.com/watch?v=gshM6WBr1nU
『男はつらいよ』の山田洋次監督は、小津を育んだ松竹蒲田風の正統な継承者だし、キアロスタミはその小津に多大な影響を受けている。
…と映画史の「文脈」で、寅さん映画、アッバス・キアロスタミ、小津安二郎の共通性を、一応説明はできるんですが、僕は、これらの映画に通底する世界観は、もっと大きな説明が必要ではないかと思うのです。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
ここでもうひとつ、僕の大好きな映画を紹介します。インド古典映画の傑作『大地のうた』です。
サタジット・レイ作『大地のうた』フルバージョン(日本語字幕はついていませんが、1:10:40以降の蒸気機関車のシーンが素晴らしい)
https://www.dailymotion.com/video/x6j4i9n
これも、名もない庶民の生活が素朴に描かれている、それだけの映画ですが、どうしてこんなにも魅力に溢れているのか。
何か大きなものが、この映画の世界全体を包み込んでいるように感じます。
寅さん映画、アッバス・キアロスタミ、小津安二郎、サタジット・レイ、これらの映画に通底する「何か」。
その何かを、神といってもいいし、仏といってもいいんですが、その「大きなもの」が世界全体を包み込んでいて、登場人物一人ひとりをも、包み込んでいる。
登場人物は物語の中で失敗したり、挫けたり、不幸に見舞われたりして、倒れることもあるけれど、力強く、また立ち上がる。
彼らは「自己肯定感」など意識することもありません。「大きなもの(=神あるいは仏)」に最初から肯定されているから、包み込まれているから、どんなことがあっても生きていける。立ち上がれる。
これらの映画に共通して感じる「大きなもの」は、映画の製作者も意識して作り上げているわけではないと思うんですよ。たぶん、自然に滲み出ているものです。
これは、CG全盛の現代の映画には、決して感じられないものです。
この世界の一人ひとりを包み込んで、全肯定してくれる「大きなもの」。
それがあるから、人間は絶望せずに生きていけるんじゃないでしょうか。たとえ絶望しても、また立ち上がることが出来るんじゃないでしょうか。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
では、また。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
Episode34~END~
To be continued